AgneiyaIV
外伝/魔女

 赤毛の女は、魔女である。
 迷信だと笑い飛ばすもよし、信じて赤い髪の女性を見かけたら逃げ出すもよし。それは個々の自由である。ただ、アルメニアの――セルニダにはそのような迷信がいまだ根付いているのだ。それは、呪いを行なうものが、主に北方からやってくるからか。それとも、アマリアより嫁いだ、先々代の皇后が連れてきた赤毛の侍女が、錬金術師と噂されていたからであろうか。理由は、いまだ不明のままである。
 けれども、その言葉はあながち嘘ではないと思う。なぜなら、大陸随一と謳われる工芸師。神の手と讃えられるオルトルートもまた、赤毛の娘なのだから。



「魔女は、火を好むというからね」

 暖炉を前にして、彼女はきししと笑う。その笑い声がまた、魔女らしくて。アグネイヤは僅かに腰を浮かした。勧められた椅子は、年代ものの長椅子(カウチ)であったが、その上には南方の名も知れぬ獣の皮がかぶせられていた。革の匂い、というよりも獣臭いその敷物が、アグネイヤは好きではなかった。片翼もここを訪れるときは、決まって鼻をつまんでいたものである。それでも、双子はこの『魔女』が好きだった。彼女の語る、古の大陸史や遠方の英雄姫君の話、ちょっとした手妻と思える魔術の話まで。
 もっとも、双子にそういった話をしてくれたのは、先代のオルトルートである。彼女はそれこそいく星霜を経た老木の如く、今にも枯れ果てんとする老婆であった。歯のない口をもぐもぐと動かし、言葉ではなく心で彼女らに話しかけてくるような。文字通り、魔女であった。
 彼女は、クラウディアの婚礼祝いとしてアグネイヤと揃いの指輪を作成したのを最後に引退を宣言し、どこへともなく姿を消した。残されたのは、古びた工房と彼女の弟子であるティルデという、これまた赤毛の娘である。ティルデはオルトルートがアダルバードに招かれた際、奴隷市場で購入したと言っていたが。

 ――手先が器用でな、オルトルートの跡継ぎには相応しい。

 実は彼女、もとは盗賊の下で働いていた錠前破りだったらしい。亡父は贋金を作成した罪で処刑され、路頭に迷った彼女は父の昔馴染みの下で鍵作りに精を出していた。その傍らで、細々と飾り物を作成していたという。だが、結局は役人の知るところとなりティルデも一味ともども捕らえられ、極刑に処されるところであった。
 それを救ったのが、オルトルートである。
 彼女がアダルバードの王妃に与えた腕輪ひとつで、ティルデの身を自由にした。感謝などしている風もないティルデをそのままセルニダに連れ帰り、自身の弟子として工芸を教えると彼女はめきめきと腕をあげていった。
 そしていつしか、師であるオルトルートを凌ぐ腕前となったため、オルトルートは自身の名と工房をティルデに譲ったのである。
 いま、アグネイヤの前にいるのは、ティルデであった。年齢不詳、というものの。実際は三十を越えてはいないだろう。常に工房に篭っているせいか、肌の色は白く、血色も悪い。殆どものも食べていないらしく、その肢体は常にほっそりとしている。琥珀とも金褐色とも言われる双眸は、ギラギラと輝き、まるで肉食獣のそれであった。これならば、魔女といわれても仕方がないのではないか。アグネイヤは時々そう思ってしまう。
「ティシアノ・フェレオの頼まれものを仕上げてからだね」
 アグネイヤの依頼に、ティルデは素っ気無く応えた。一国の姫君が直々に足を運んで依頼をしても、このざまである。ティルデは――オルトルートは誰にでも平等に、きちんと順番を守らせる。それが一種小気味よかった。
「ルカンド伯が殺されてから、羽振りがいいって言うじゃないか。ティシアノは。第二のルカンド伯になるかもしれないよ」
 ティルデはこちらを見ずに、暖炉にかけた鍋の中身をかき回す。ぐつぐつと赤い液体が煮立ち、不気味な香りが漂ってくるが。まさかこれをアグネイヤに食べさせる気ではなかろうか。彼女は手にした(カップ)を握り締め、もしそうなら急いで帰ろうと心に決めた。
「公国を名乗っているが、あいつの国は国じゃない。ダルシアの一部だ。あたしにこんなものを頼んで、権威を誇示したいのか。馬鹿だねえ」
 もう、三年以上も前から頼まれていたものだよ、と。ティルデは棚の上から作りかけの腕輪をとると、それをアグネイヤに放ってよこした。アグネイヤはそれを片手で受け止めると、まじまじと見つめる。
 さすがオルトルート、と思わず溜息が出来てしまうほど。作りかけといえど、その細工は見事であった。
「先にあんたへの献上品を作っちまったことが気に食わなかったらしいけど。皇帝陛下と、一介の貴族と。比べる辺りが情けないねえ」
 くつくつと喉を鳴らすティルデに、
「オルトルートは、権力のあるなしにかかわらず、全ての顧客を同等に扱うのが信条じゃなかったわけ?」
 アグネイヤはからかうように問いかける。
「あたりまえだよ。そりゃ、お客はみんな平等だ。でもね」
 あんたは、ご贔屓さんだから。と。彼女はぼそりと付け加える。
「オルトルートの作品じゃない、あたしの、ティルデの作ったものを初めていいって言ってくれた。あんたが、あたしの最初の客だよ。皇帝陛下」
 照れたように顔を赤らめる仕草が、歳に似合わず愛らしかった。アグネイヤはそうだったのか、と今更ながら驚いた。確かに、オルトルートの工房を訪れたときに、作品のひとつを手にとって、

 ――これが欲しい。

 侍女にねだったのを覚えている。あれが、ティルデの手によるものだったのか。銀の台に複雑な北方の飾り文字を刻み込んだ、呪術めいた指輪。アグネイヤの人差し指に納まっているそれに視線を向けて、ティルデははにかんだように口元を歪めた。
 そういえば、イリアに代価を乞われたときも、迷わずオルトルートの指輪のほうを選んでしまった。あれもまた、十五歳の誕生日の折に、オルトルートが献上してくれたものだったのに。
「そいつは、良質の銀だよ。滅多に取れるもんじゃない」
「うん」
「ついでに、その文字。そいつもなかなか、彫れるもんじゃない」
 何が書いてあるのか。独特の文字体なので、元の文字がわからない。アグネイヤは何度かオルトルートに言葉の意味を聞いたけれども、彼女は笑ってはぐらかすだけだった。今にして思えば、これは彼女の作品ではないのだから、彼女も書かれた言葉を知らなかったのではないか。
「ここには、なんて書いてあるのさ?」
 アグネイヤは右手を差し出し、指輪をティルデの鼻先に突き出した。するとティルデはおやおやと楽しそうに笑って。
「神聖帝国の文字が読めないのかい、皇帝陛下」
 からかいの言葉を発しながら、悪童宜しく目を輝かせた。琥珀の瞳の奥に、暖炉の火が踊り。彼女は髪も瞳も赤い、本物の魔女に見える。
「無理ないさ、皇帝陛下。これは、神聖帝国の古代文字を飾り文字に変換して、ついでに鏡文字にしてみたんだ。鏡に写すと、文字が普通に読める――でも、細工しすぎて、元の字がわからないから駄目だねえ。あたしも若かったよ」
 しげしげとかつての自身の作品に目を向けるティルデ。彼女は一つ一つ文字を辿りながら、短い言葉を読み上げた。

「覇王、ここに帰還せり」

「覇王?」
 耳慣れぬ言葉だ。アグネイヤは首を傾ける。と、ティルデはさらに笑った。
「神聖帝国初代皇帝は、自分のことをそう呼んだんだよ。『覇王、巫女を得たり。ゆえに我、ここに国を築く』――神聖帝国の歴史書にはそう書いてある」
「ティルデ?」
「あたしの祖先は、神聖帝国の皇帝に仕える鍛冶師だったって。親父が言っていたよ。嘘か本当か知らないがね。鍛冶師の髪は赤くて、錬金術も魔術も両方に通じることが出来るから。悪い誘惑には乗ったらいけないってね。そういいながら、親父はまずいことをやっちまったわけだけど。盗賊の片棒担いだりしてさ」
「……」
「もっと早く、あんたに逢っていたら。親父も真っ当に生きられたかもしれないねえ。皇帝陛下が帰ってきた、ご帰還遊ばされたって。喜んで飛びついていくかもしれないのに」
 後半は、呟きに変わっていた。
 アダルバードもアマリアも、その隣国であるヒルデブラントも。もとは、神聖帝国の一部であった。ゆえに、それらの国にはいまだ、『帝国』の血を伝えるものが多く残っているといわれている。ティルデのほかにも、帝国に仕えていたものたちが存在しているかもしれない。彼らは、いまだに帝国の再興を夢見ているのだろうか。
「今は、自由な工芸師だけれど。そのうち、あんたのお抱えになってやってもいいよ、皇帝陛下」
 ティルデはアグネイヤの脇腹を肘で小突いた。
 もともと、そういう生まれなのだから、と小さく付け加えて。彼女は懐からひとつの腕輪を取り出した。銀の輪が幾重にか重なった、繊細な腕輪。そこに小さな鈴がみっつ。つけられている。軽く腕輪を振ると、鈴はしゃらしゃらと儚い音を立てた。
「これを、巫女姫に」
 ティルデはアグネイヤに腕輪を押し付ける。巫女姫に――イリアに。神聖帝国の、真の支配者たる女性に。捧げるというのだろう。
「言っておくけど、同じものは二度と作れないからね」
 言葉通り、細い輪ひとつひとつに施された彫刻は、繊細かつ華やかで。とても他の人物に真似の出来るものではない――いな、当の『オルトルート』ですら、もう一度これを作れといわれても、不可能であろう。彫刻は神聖帝国の紋章である獅子をかたどったものから、巫女を表す黄金蝶、呪符などが絶妙の調和の上に刻まれている。
「自分で届けないのか?」
 問いかけに、ティルデはかぶりを振る。
「あたしゃ、ここから出られないさ。根っからの引きこもりでね。お客には、お運びいただくことになっているんだよ」
 それは、イリアをここにつれて来いということなのか。アグネイヤは苦笑し、腕輪を受け取った。これは注文の品ではないが、ただで受け取るわけには行かない。代価はいくらかと確認すれば、ティルデは小さく笑った。
「そうだね」
 すっと、琥珀の目が細められる。
「アンディルエに、連れて行って欲しいね。アンディルエの、皇宮の尖塔に登って。自分の国を見下ろしてみたいよ」



 赤毛の女は、魔女であるという。
 それは、まことのことか、それとも根拠のない偽りなのか。確かめる術はひとつとしてなく、信ずるも信じないも、聞き手の心ひとつである。
 ただ、解かることは。魔女の語る言葉が、人を呪縛して放さないものだということ。
 それを、アグネイヤが身を以て実感するのは、まだ遠い未来のことであった。

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