AgneiyaIV
第二章 輝ける乙女 
6.辺境(1)


「権力の正しい使いかた、ってヤツをはじめて見たね」
 ティルは揶揄とも尊敬とも取れぬ言葉を吐いて、クラウディアを見た。
 関守の責任者に案内されて通されたのは、彼が居室として使用している部屋であった。辺境にあっては、まずまずの設備を用意されているこの部屋、それもそのはず関守の長であるこの男は、首都に居た折はそれなりの地位にあった人物だった。辺境に派遣される人物には珍しく、爵位も持ち合わせており、男爵といえど古参の名門、彼の祖父の代から現在の王家に仕えているとのことである。現王妃ラウヴィーヌの輿入れに関して、あれこれと尽力したのも彼とその父。蜜色の髪と緑青の瞳、『帝国以前』の血を持つ彼は、何かと国王に重宝されていたはずである。
 そのような人物が何故、ここに追いやられたのか。聞かずとも大体見当はつく。
 邪魔になったのだ。
 フィラティノア王妃となったラウヴィーヌは、彼を疎んじた。自身の力で王妃の座を得たのだと主張するラトウィス親子の存在が邪魔になり、口実をつけて辺境に流した。
(よくある話だわ)
 そして、理不尽な目に合った彼は、この地で吸える限りの甘い汁を吸っている。愚かしいことだ。
 ラトウィスがラウヴィーヌに対して恨みを抱いているとしても、ここで気を許すわけには行かない。彼はもともとレンティルグに近しい存在、いつ権力ほしさにラウヴィーヌに擦り寄るかわからない。クラウディアの殺害を機に、再び宮廷に返り咲く、そんな夢を抱いてもおかしくない人物である。
 フィラティノアも、恨みの凝り固まった国だと思う。どこの国もそれなりに愛憎が交錯している。ことに歴史があればあるほど、絡み合う糸は複雑化し、ミアルシァの如く『呪われた』血脈が生まれるのだ。実の兄弟と殺し合い、肉親とも情を交わす。クラウディアの感覚から行けば異常としか思えぬ、獣の行為を平気でする一族である。その血を濃く受け継いでいる自身のことも、おぞましいといえばおぞましい。現在アヤルカス国王となったジェルファが、姪であるアグネイヤに邪な感情を抱いていることは、早くから解っていた。解っているからこそ、早く『姉』を隣国に嫁がせたいと思っていたが、結果的に自分が嫁ぐ羽目になってしまった。そこは大きな誤算でもあるが、アグネイヤももう子供ではない。自分の身くらい自分で守れるであろう。
 それに、アグネイヤであれば、このフィラティノアに巣食うレンティルグの毒蜘蛛に太刀打ちできるかどうか。
 やはり、ここは自分が来て良かったのだと改めて感じる。
(レンティルグ辺境侯――侮れないわね)
 当主はラウヴィーヌの甥に当たる青年が務めているが、その男も油断がならない。時折宮廷にも出仕して、国王夫妻と会食をしているそうだが、残念ながらクラウディアはまだ対面してことはなかった。年齢的にはディグルよりも少し上と聞くが、いまだ正妻を持たず、数人の側室を侍らせているらしい。
 リオラの件も、ラウヴィーヌのほかに彼が関係しているとしたら――更に厄介である。レンティルグはクラウディアを排して、自身に都合の良い花嫁をディグルに押し付けるつもりであろう。前妃エリシアを廃し、ラウヴィーヌを王妃の座につけたように。
「あのおっさんも、ムシが好かないねえ。意味もなく他人を持ち上げるヤツは、ろくなヤツじゃないからね」
 ティルは胡散臭そうにラトウィスを見つめる。自らいそいそとクラウディアの世話を焼こうとする彼は、哀れな道化に見えた。王太子妃巡察の令が出ていれば、真っ先に出迎えたのだと彼は主張し、クラウディアを賊として捕らえた者たちを即刻処罰、リオラの亡骸は『壁』の向こう、蛮族の地に埋葬するよう指示を出したと誇らしげに告げている。
「リオラの亡骸は、――埋葬するのは良いけれど、ちゃんと丁重に葬って頂戴。身につけていた装飾品、それから、髪を一房。遺品としてオルウィス男爵夫妻に持参します」
 クラウディアの言葉に、ラトウィスはかしこまりましたと深く礼をする。彼もオルウィス男爵とは旧知の仲、リオラとの面識もあるであろうに。よくぞここまで言えたものだと思う。旧友の娘を謀反人扱いし、あまつさえその遺体を放置に等しい形で埋葬する気であったとは、名門が聞いて呆れる。
 クラウディアは肩をすくめ、傍に寄りそうティルとルーラを見やった。ルーラはまだ、リィルを抱いたままである。子供とはいえ、十歳近い少女を抱いたままでは、幾らルーラが『男性』だといっても疲れるのではないか。クラウディアが椅子を勧めても、彼女は頑として座らなかった。主人であるクラウディアを立たせたまま、自身が座ることは出来ないと、青い瞳が主張している。忠義もここまでくれば見上げたものだと、ティルが笑った。
「この『関所』の体質を改善しない限り、アーシェルの未来は暗いわね」
 彼女の言葉にティルは頷いた。
「こんな奴らが幅利かせてるんじゃ、どうしようもないしね。お嬢さん――いや、王太子妃殿下。あんたの権力でなんとか出来ない?」
「殿下はやめて頂戴。こんなところで。ルキアでいいわ。旅行手形はそうなっているのだから」
「あっ、そ。じゃあ、ルキア。あんた宮廷での権力はどんなもんなの? 旦那はあんたの言うこと聞いてくれるわけ?」
「それは」
 クラウディアは即答しかねた。
 ディグルとの夫婦仲は良くも悪くもない。クラウディアとしては、『良好』と言いたいが、世間的にはどうなのだろう。彼女は明らかに処女妻であるし、ディグルはいまだに側室ルーラ一筋である。それが気に入らぬわけでもなく、さりとて、嫌いというほど彼のことを知っているわけでもなく。
「ご想像にお任せするわ」
 あえて明言を避ければ、
「ふーん?」
 ティルは知った風に眼を細めた。
 どう見ても『遊び人』と思える彼は、女性経験もそれなりに豊富だろう。顔立ちも悪くなく、寧ろ野性味を帯びてはいるがどことなく品のある容貌に、女性は惹かれるに違いない。彼はおそらく気づいているはずだ。クラウディアが生娘であることに。だからこそ、あえて彼はクラウディアを『お嬢さん』と呼んでいる。その辺りの作為が見えているだけに、彼とは話しにくかった。逆に彼を懐に取り込んで、参謀として役立てれば、これ以上ない優秀な部下となるだろう。けれども、クラウディアがそれを申し出たとして。ティルが素直に応じるであろうか。
 ティルは、アグネイヤに纏わりついている刺客とはまた異なる性質の持ち主である。アグネイヤとであれば、友情を育むことも出来ようが、自分と彼では友情は芽生えない。対等の関係はありえない。どちらかが優位に立たねば、関係は成り立たない。

「いやはや、お待たせいたしました」

 クラウディアとティルのきわどい会話をさえぎるように、ラトウィスが入室してきた。彼は部下に持たせた包みを卓上に置かせ、その中身を検分するように封を開かせる。出てきたのは、女物の装飾品と、紙に包まれた一房の髪の毛であった。
「これが、オルウィス男爵令嬢の遺品にございます」
 さすがに業突く張りな役人どもも、リオラの遺品には手をつけていなかった模様である。彼女が身に着けていた髪留め、首飾り、耳飾、指輪、そして足輪、全てが揃っていた。どれも、宮廷に上がる際に恥をかかぬようにと両親が揃えたものであろう。そう考えると、クラウディアは僅かに胸が痛んだ。オルウィス男爵夫妻は、娘の最期を知って、どう思うであろうか。夫妻もラウヴィーヌの陰謀に加担していたとしたら、当然クラウディアを恨むであろう。先に刺客を送っておきながら、娘を殺されたと訴えることもあり得る。これは厄介なことになったとクラウディアも頭痛がしてきた。こんなことであれば、リオラの同行の申し出を断ればよかった。
(あとの祭りだわ、本当に)
 軽く溜息をつき、彼女は関守の長に礼を述べた。彼は嬉しそうに頭を垂れ、
「では、このようなところではありますが、妃殿下にはぜひ、こちらにご滞在いただきたく」
 もみ手をせんばかりの態度で逗留をすすめる。クラウディアはこのようなところに長居をするつもりはなく、
「いいえ、結構」
 そういいかけたが、
(……)
 ふと、あることを思いついた。
「ティル」
 傍らに佇む赤い瞳の盗賊に声をかけ、そっと耳打ちする。彼は一瞬眉を寄せたが、彼女の言わんとしていることを理解したらしい。
「了解」
 ニヤリと笑い、ルーラの背後に立つアウリールの元に歩み寄り、彼に一言二言囁きかけた。
(おさ)
 アウリールも一瞬訝しげな顔をして、首領とクラウディアの顔を見比べたが、不承不承といった体で頷き。
「解りました」
 ひとり、部屋を出て行く。彼の後姿を見送ったティルは
「さて、オレもこういうところは苦手なもんで。失礼させていただくわ」
 明るく言い放つとルーラの傍をすり抜ける際に、ぽんとリィルの頭を叩いて
「そゆことだから。ねーさんたちに面倒かけるなよ、チビ」
 噛んで含めるように言い、クラウディアには手を振った。クラウディアも笑顔でそれに答えると、彼が退室するのを見届けてから改めてラトウィスに向き直る。
「折角ですから、逗留させていただきますわ、ラトウィス男爵」
 膝を折り、裾を持ち上げる形で貴婦人の礼をとると、ラトウィスは年甲斐もなく照れたように顔を赤らめた。


 宴とは名ばかりの茶番を経たあと、クラウディアとルーラは、再びラトウィスの部屋に通された。関守は、召し上げた女性たちをこの部屋で弄んでいたのか、その寝台は辺境役人には不相応なほど大きかった。彼が使用したままのものを使わされるのかと思っていたが、さすがに宴の最中に敷布その他は真新しいものと交換したらしい。布に触れてみれば、それはぱりっと糊が効いていた。
「それなりに、気を使ってくれているのかしらね」
 本心かどうかは不明だが。
 クラウディアが皮肉を口に上らせると、ルーラは無言で頷いた。
 部屋には寝台がひとつだけ。クラウディアとルーラ、それにリィルが横になったとしても、十二分な広さを有する寝台であるが、
「わたしは、こちらで休ませていただきます」
 ルーラはひとり、続き部屋の長椅子へと歩み寄っていった。それを見たリィルは
「いや。るーら、いや。りぃるといっしょ、るきあといっしょ」
 唐突にぐずり始めたのである。
「リィル。わたしは、妃殿下――いや、ルキアの家臣だ。一緒の床になど、就くことは出来ない」
 大人に語るのと同じ口調で彼女を説得するものの、幼女にそんな理屈は通用しない。リィルは瑠璃の瞳に涙を一杯ためて、
「だめなの。るーら、いっしょ。るきあもいっしょ」
 駄々をこね続ける。
「リィル」
 これにはルーラも参ったらしい。途方にくれた様子で、どうやってこの幼女を説き伏せるか――真剣に悩んでいる模様である。その様子がおかしくて、寝台に腰掛けたクラウディアは、声を立てて笑った。
「妃殿下、笑い事ではございません」
 ルーラの眉が、僅かに動く。けれども、
「そうそう。そうね、笑い事じゃないわね」
 言いつつも、笑いながら寝台を転がるクラウディアの姿を目の当たりにして、僅かにその視線が揺れた。一瞬、青い瞳の奥に迷いの影が走り、それから、彼女は慌ててクラウディアから目を逸らす。
 何か、よからぬ光景を妄想してしまったようである。
 クラウディアも、ルーラの気持ちは解っているつもりであった。彼女――実際は『彼』なのだ――が、クラウディアに対して、どのような想いを抱いているのか。愛情とも違う。恋とも違う。男女間のそれとは微妙に異なる複雑な感情を抱えたルーラが、クラウディアと床を共にすることなど出来るわけがない。ディグルはルーラの異心を疑っているようだが、ルーラは忠実なディグルのしもべである。主人の妻であるクラウディアに、間違っても情交を迫ることなどありえない。
 ルーラは、知らないのだ。クラウディアが、ルーラの『身体』についてディグルから聞かされていることを。だからこそ、余計に気を使うのだろう。臣下の立場だけではない、それ以上に重い鎖にルーラは囚われているのだ。
「わたしは気にしないわ」
 できるだけ明るくクラウディアが言い放つが、
「わたしは気にします」
 ルーラもすかさず応戦する。彼女としては、なんとしても一人で別室に行きたいのだろう。衣服を脱げば、おのずと身体の線が見えてしまう。女性でないことが、解ってしまう。その不安もあるのだ。そして、リィルが傍にいるとわかっていても、間近にクラウディアの体温を感じたら。
 ルーラの理性と感情は、壮絶な葛藤を始めるだろう。
「るーら、いっしょ。るーらがむこうにいくなら、りぃるもいく」
 リィルは余程ルーラが気に入ったらしい。ルーラと共に別室の長椅子で眠るという。まだ幼い子供にそんなことをさせるわけには行かない。
「いいわ。わたしが長椅子で寝るから」
 毛布を一枚手に取り、クラウディアは寝台を滑り降りる。
「妃殿下……ルキア」
 ルーラは焦ったようにクラウディアを止めた。それだけはいけません、と、必死の形相で叫ぶ。とはいえ、傍目に見れば殆ど表情は変わっていないと思うが――クラウディアにはルーラの感情の揺れが手に取るように解った。
「じゃあ、一緒に寝ましょう。わたしが右端、ルーラが左端。間に、リィル。これでいいわね?」


 その後も暫くもめたことはもめたが、結局クラウディアが自身の提案を押し通した形となった。ルーラは渋々寝台の端に横たわり、リィルは喜んで彼女に添い寝する。まるで親子のようだとクラウディアは思った。そう、早ければルーラの歳でもリィルのような子供を持つ女性も存在するのである。容姿も、ルーラとリィルは似通っていた。髪や瞳の色こそ微妙に異なるが、黙っていれば人形かと思えるほど表情の乏しい顔、どこか世を捨てたような暗い眼差し、身に纏う雰囲気。
(傍から見れば、完全親子よね)
 そして、部外者のクラウディア。北方には珍しい、自身の黒檀の髪を指先で弄び、彼女は溜息をついた。
「ルーラ。剣は絶対に手放さないで頂戴」
 微かに呟いたクラウディアの唇の動きを読み取ってか、
「御意」
 ルーラも唇の動きだけで応える。
 ラトウィスは、油断のならぬ男だ。何を考えているか、わからない。彼が今夜、どのような行動に出るのか――出たとしても、充分応戦は出来るはず。クラウディアは寝台に立てかけた、剣の感触を確かめ、
「消すわよ?」
 灯りを消した。
 瞬時に闇に覆われる寝室。聞こえるのは、三人の息遣いのみである。
(ティル)
 クラウディアの心の声を、聞き取るものは誰もいない。けれども、彼女は信じていた。暁の瞳を持つ盗賊を。クラウディアの手元にリィルが居る限り、彼はクラウディアを裏切ることはない。
(馬鹿ね)
 自身を殺そうとした刺客を傍に侍らせている片翼を、最早笑うことは出来ない。分かたれた二つの魂は、やはり似通うものなのか。クラウディアは、ティルを信じていた。彼がクラウディアにとって、益をもたらす存在であるということを。



 漸く運が向いてきた。
 ラトウィスが思うのも無理はない。まさか、このような辺境に、王太子妃がやってくるとは。しかも、ろくに供も連れず、ほぼ単身に近い状態で。更に都合の良いことに、彼女の来訪は非公式である。持参していた手形は、王太子の発行ではあるが、偽りの証明書であった。オリアの商人の妻とその義妹、――つまり、王族ではないことになっている。
 クラウディアの一行の中に旧友の娘がいたことも、好機のひとつであった。オルウィス男爵令嬢リオラの使命は、おそらく王太子妃暗殺。もしくは、それに類することである。だとすれば、それを命じたのは他ならぬラウヴィーヌ。ラトウィスが骨を折って、王妃の座につけた女である。
(あの、女狐)
 自身と同じく、帝国以前の血を持つ女性。かつて美しかった容色は日々衰え、現在は怪しげな錬金術師を手元において、若返りの秘薬を作らせていると聞く。そんな彼女は、生さぬ仲の息子の身体を狙っていると、そう言っていたのはオルウィスであったか。
 自身を陥れ、辺境に追いやったラウヴィーヌ、けれども彼が再び宮廷に戻るためには、ラウヴィーヌの力が必要であった。
「閣下、ですが妃殿下のご実家は、神聖帝国とアヤルカス王国、ふたつの富裕なる国です」
 側近の一人の囁きに、ラトウィスの心は揺れた。
 ここで自身の将来を考えるのであれば、クラウディアを取り込むべきか否か。現在宮廷における実権は、国王が握っている。国王には寵妃はなく、現在も妃は正妃であるラウヴィーヌただひとり。夫婦仲がどうなのか、それについての情報は入っては来ない。
「帝国以前の血とはいえ、ラウヴィーヌ后のご実家は一貴族にすぎませぬ、国力もさほどありますまい」
 別の側近が、また、したり顔で進言する。ラトウィスの現在の取り巻きは、クラウディアの背後にある、神聖帝国、アヤルカス王国、ひいては古王国ミアルシァの存在を思っているのだ。ラウヴィーヌは所詮一貴族の血縁、国王存命の今だからこそ権力を持ってはいるが、王太子が即位した暁には失脚するであろう。それが、彼らの見解である。
「王太子殿下は、ラウヴィーヌ后を良く思われてはおりませぬ」
「御生母様を追放した憎き女、そう思われている節があります」
 側近の言葉に、ラトウィスは苦笑を浮かべる。
「あの、感情など生母の腹の中に忘れてきたような男がな」
 オリアに居た折に、幾度か対面したことがある。前妃エリシアに生き写しの美貌、男とわかっていてもふるいつきたくなるほど鮮烈な印象を与える、王太子。卑しい歌姫の子供とは思えぬ気高さと品格を備えた彼は、確かにラウヴィーヌの如き田舎貴族の婦人には眉ひとつ動かさぬだろう。ラウヴィーヌとて、若い頃は美しかった。それこそ、引く手数多の女性であった。それを射止めたのが、レンティルグ辺境侯、彼が没して寡婦となった後は、フィラティノア国王がその容貌に目をつけ

 ――わが側室に。

 血縁者であるラトウィスを通して、正式に求婚したのである。
 だが。ラウヴィーヌは『側室』の立場を拒んだ。自身を正室にしろと、そうでなければこの縁はなかったことにすると応じたのだ。エリシアをこよなく寵愛していた国王は、それならばと求婚を取り下げようとしたのだが。
 そこで、事件が起こった。
 エリシア失脚の原因となる事件。彼女と、青年騎士の不倫である。
 宮廷の貴婦人達の貞節など、実際は無きに等しいものである。夫どころか子をもつ身でありながら、しかるべき地位にある夫人どもは、あるときは吟遊詩人、あるときは旅の役者、またあるときは、夫の部下、もしくは同僚。あらゆる者達と情を交わしていたのだ。王妃の乱行、というのも過去に例が無いわけではない。けれども、エリシアの場合は、違った。エリシアは国王の側近である美貌の青年騎士と道ならぬ行為に耽り、ついには国王を殺害してエリシアを女王とする――つまり、謀反を企てたのである。エリシアと青年騎士は婚姻までし、その宴も執り行ったというのだ。
 彼女が書いたという青年への情熱的な恋文も数十通と発見され、エリシアは王妃の地位を剥奪、宮廷を追放された。
「本当に、あの件は骨が折れたわ」
 ラトウィスは過去を振り返り、眼を細める。ラウヴィーヌを正室とするために、彼がどれほど尽力したか。財を傾けてまで、奉仕したか。ラウヴィーヌは改めて噛み締める必要がある。
「そう。エリシア后も、いい女だった」
 かつて彼自身が蹂躙した若い肉体を思い出し、老男爵は密かに笑った。


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