AgneiyaIV
第二章 輝ける乙女 
5.后妃(2)


 唐突に、アルメニア帝国創世記の一節を思い出した。

 アルメニア王女ルクレツィアは、森の中で盗賊を自称する赤い瞳の青年と出会う。
 彼の名はアグネイヤ。神聖帝国の末裔。
 そして、彼に対してルクレツィアが名乗った名前は――。

「珍しい目をしているね、お嬢さん。お名前は?」
 少年に尋ねられたクラウディアは、
「ルキア」
 ディグルが用意した名を答えた。
 ルキア――それは、初代皇后の愛称にして、彼女がアグネイヤと出会った際に名乗った名前である。偶然の一致に、クラウディアは戦慄した。これは、何らかの予兆なのではないだろうか。彼女らの誕生の折に占い師が述べた言葉、

 ――この姫は永く世に名を残すことでしょう。
 ――混沌を呼ぶものとして。

 それは、この事態のことを指しているのではあるまいか。
「ルキア、ねえ」
 少年は先程と同じように屈託のない笑みを浮かべる。人好きのする、柔らかな笑顔である。これが、殺伐とした盗賊の首領の顔なのだろうか。赤味を帯びた紫の瞳には一点の曇りもなく、綺麗に澄み渡っているといって良い。寧ろ、躊躇なく盗賊を切り伏せたクラウディアのほうが、血に汚れているような気がする。
「『ルキアの結婚』から取ったのか、それとも昔のお后様にちなんだのか。いい名前だね」
 盗賊に言われても嬉しくはない。クラウディアは憮然と彼を睨みつけた。
「そういうあなたのお名前は? 人に尋ねておいて、自分は名乗らず? 随分と礼儀知らずな人ね」
 厳しい口調で言い放つと、『金髪』が僅かに眉を動かし、クラウディアを殴ろうと手を上げる。暴力から彼女を守ろうとルーラが動くよりも早く、
「お嬢さんに暴力はいけない」
 少年が二人の間に割って入った。まるで気配を感じさせない彼の動きに、クラウディアは息を呑む。この身のこなしは、只者ではない。瞳の色といい、今の動きといい。彼はいったい何者なのだろう。思うより逞しい後姿を見つめて、クラウディアはもう一度彼に尋ねた。
「おなまえは?」
 すると少年は肩越しに振り返り
「ティル」
 短く答えたのである。
「ティル?」
 これにもクラウディアは驚いた。ティルといえば、アグネイヤの名前のひとつでもある。片翼が名乗ることとなった、皇帝の名前。エリアス・リュディガ・アヤルカス・ティル・アグネイヤ。よもや彼は現神聖皇帝と同名とでもいうのではあるまいか。
「本名なの、それは?」
 反射的に訊いてしまう。少年――ティルはあっさりと頷いた。
「生まれたときから。別にこっちじゃ珍しい名前でもない。なあ、アウリール」
 ぱちりと金髪に片目を閉じれば、金髪男は苦々しい表情で彼を見下ろす。いい加減にしなさい、といった表情である。このふたりは、主従関係というよりも、親子というか兄弟のそれに近いのではないか――クラウディアはふとそう思った。
「この娘達をどうしますか、(おさ)
 固い口調で問いかけるアウリールに、ティルは
「縄解いて、部屋にお招きしたら?」
 即答する。
「それは、客として招待してくださる、ということかしら?」
「口が過ぎるぞ、小娘」
 クラウディアの言葉に、アウリールが口を挟む。彼としても、首領の思惑がわからないのだろう。普段は捕らえた女性は皆で分配する、それが盗賊団の規則と思われる。ティルは何を考えたのか、彼女らを賓客として持て成すつもりらしい。
「長、それは……」
 何事かを言いかけたアウリールを遮り、ティルはルーラとリオラに目を向ける。
「お客人は、ルキアだけだ。あとの二人のお持て成しは、お前達に任せる」
「……!」
 三人の女性は一斉に目を見開いた。
 客、もてなし――それは文字通りのもてなしではなく、分配を意味する言葉だったのだ。クラウディアは唇を震わせ、ルーラは彼らを睨みつけた。リオラは卒倒せんばかりに震えだし、その場にへなへなとへたり込む。
 虫も殺さぬ顔をして、ティルという少年はなんと残酷なのだろう。
 いな、それが盗賊の本性なのだ。
 古代紫の瞳を持つから、アグネイヤと同じ名であるから、そう思って親しみを感じたのが間違いだった。
「ルキア」
 クラウディアに身を寄せようとしたルーラを、赤毛の男達が取り押さえる。彼らは満面の笑みを浮かべて、二人の女性を部屋から連れ出した。
「ルーラ」
 ひとり残されたクラウディアは、彼女らを振り返る。ルーラは特に心配はないと思うが、問題はリオラだ。彼女は腕に覚えのない、一介の侍女である。盗賊どもに襲われればひとたまりもない。
「お嬢さんのお相手は、こっち」
 くいくいとティルが彼女の袖を引いた。
「酒とつまみ、なんか持ってきて」
 のほほんとした声で依頼されたアウリールは、渋々といった様子でクラウディアを残して部屋を出て行った。
「で、やっと二人きりだね」
 穏やかでない台詞を吐いて、ティルはクラウディアの縄を解いた。彼はそのまま彼女に座るように言い、自らも敷物の上に腰を下ろす。傍らの卓上に酒の瓶が転がっているところを見ると、先程まで彼は飲んでいたのだろう。近づいたときにも、僅かだが酒の匂いがした。
「ルキア、ってことは、ルクレツィアかな本名は?」
 思わぬところを突かれて、クラウディアは一瞬言葉に詰まった。ティルの意図が読めない。彼は何を探るつもりなのか。
「別にいいでしょう、そんなこと。ルキアじゃご不満?」
「そういうわけじゃないけど。貴族のご令嬢にしちゃ、さっぱりとした名前だなと思って」
 更に心臓を刺激されて、クラウディアは息を止めた。彼はクラウディアを貴族の娘だと見破っている――それとも、鎌を掛けているのか。どちらにせよ、油断できぬ相手である。彼こそ本当に盗賊なのだろうか。実は地下組織としてなにやら活動をしている一団の頭目ではないのか。クラウディアはティルの赤い瞳を凝視した。映りこむ蝋燭の焔がゆるやかに揺れて、なにやら違う世界に引き込まれそうな――不思議な感覚を覚え、慌てて目を逸らす。
「長いこと――って言っても、高が知れてるけどさ」
 敷物の上にだらしなく胡坐をかいて、少年はクラウディアを見上げる。紫の視線が同じ色の視線を捕らえようと動くのが感じられて、彼女は更に顔を背けた。彼とは目を合わせてはいけない。目を合わせれば、心の奥底を透かし見られる。漠然とした恐怖を抱いて、クラウディアは適当に相槌を打った。
「長いこと生きていて、初めてだよ。同じ目の人に会ったのは」
 ティルは、くつくつと笑った。魔女のそれを思わせる、どことなく不吉な声である。この笑い方はティルデに似ている、と彼女は当代随一の細工師を思い出した。そう考えて、ふとあることに気づく。クラウディアの片耳に下がっている耳飾(ピアス)。気に入りのこの細工も、ティルデの――二代目オルトルートの作であった。この盗賊が目利きであれば、オルトルートの作品は一目で看破できるはず。彼女の作品を身につけることが出来るのはかなりの豪商の身内か貴族のみである。ティルはこの耳飾を見て、クラウディアを貴族といったのか――だとすれば、かなり目ざとい。
(侮れないわね)
 横目でティルを観察し、クラウディアは唇を噛み締めた。ここで下手に素性がばれては、厄介なことになる。
「私達を、どうするつもり? このまま、売り飛ばすのかしら?」
 出来るだけ違う話題を振ってみたが、ティルはそれにはあまり興味を示さなかった。
「さあね。売ってもいいけど、オレはお嬢さんが気に入ったし」
「お嬢さん、て。同い年くらいでしょうに」
「女性に歳を聞いても良いのかな。オレは今度十七になるけど?」
 ――同い年ではないか。
 クラウディアは、ふ、と鼻で笑う。頭とあがめられていても、所詮は子供。子供の考えることなど、容易に想像がつく。ルーラとリオラは部下達に下げ渡し、彼らを満足させた後に売り飛ばす。クラウディアは頭の女として手元にとめおく、そのつもりだろう。彼がクラウディアに興味を持ったのは、この髪と眼の色だけである。彼女に異性としての魅力を感じたかどうかは疑問だ。幼い頃より、『サリカ』は異性の受けが良かったが、『マリサ』はどちらかというと崇拝こそされ、恋愛対象としては敬遠されてきた。同じ魂を持つ双子なのに、なぜだろうと不思議には思ったが、それはクラウディアには女性としての魅力がないからなのだろう。ジェリオというあのケダモノのような男ですら、クラウディアには本気で手を出そうとはしなかった。というよりも、どこかしら、彼は彼女を恐れていた節がある。
 ティルもおそらくそうだろう。彼がクラウディアの身体を要求することは、まず、ない。
「失礼致します」
 アウリールが言いつけ通り酒と何種類かのつまみを持って現れた。彼は警戒するようにクラウディアを一瞥し、彼女の傍らに腰を下ろす。
「ああ、もう。無粋だなあ。二人っきりで話していたのに」
 子供のように唇を尖らせるティルを軽く睨みつけて、アウリールはクラウディアに向き直った。
「娘。どういう目的で、この地を訪れた?」
 アウリールとしては、まずそれを知りたいのだろう。
 ただの貴族の娘の物見遊山にしては、腕が立ちすぎる。ひとりはいかにもお嬢さんといった風情で、盗賊の動き一つに怯えを見せるが、クラウディアとルーラはまるで動じない。ルーラにいたっては、クラウディアに危険が及びそうになると反応するが、そうでない場合はまるで我関せずといった様子で、非常に肝が据わっている。これには盗賊たちも薄気味悪さを覚えたらしい。目も眩むような美貌の持ち主ではあるが、どことなく近寄りがたいものを感じるのか、銀髪の女性には誰も寄り付かないようである。その分、今一人の娘には幾人もの手が伸びているようだが――。
「おまえは、何者だ?」
 クラウディアは、アウリールの鋭い視線を真正面から受けた。
 アウリールは、クラウディアを政府高官の娘か、もしくは女だてらに各地を巡察する密偵と考えている模様である。だからこそ、彼女に対する警戒は解かない。ティルが無防備にクラウディアと二人きりになることを好まない。
「商品の買い付けに、義姉と共にアダルバードに行く途中だったのよ。あなたたちが邪魔をしなければ、今頃国境を越えていたわ」
 さらりと答えるクラウディア。アウリールは硬い表情を崩さない。
「それにしても、なぜ、古の皇帝陛下と同じ瞳を持つものが、こんなところで盗賊などやっていらっしゃるのかしら? それが、私には興味があるわね?」
 一瞬、周囲の空気が冷えた。ティルとアウリール、二人の瞳に警戒の色が宿る。アウリールは剣の柄に手をかけたが、ティルが視線でそれを押しとどめた。
「面白いことを言うね、お嬢さん。オレも実は気になっていたところだ」
 ティルが、ふっと顔を寄せてきた。クラウディアが引くよりも早く、彼はその頤を捉え彼女の顔を仰向ける。強引ではあるが乱暴ではない。けれども、秘密を暴こうとする視線は、何よりも荒々しかった。
「王太子の嫁は、古代紫の瞳を持つ、隣国のお姫様だっていうじゃないか」
 彼の唇が歪む。クラウディアは瞳に力を込めた。彼は、最初から知っていたのだ。知っていて、わざと嘯いていた。この瞳を見たときから、ティルはクラウディアをフィラティノア王太子妃だと認識していたのである。
「長、それは……」
 アウリールが「まさか」といった表情でクラウディアを見やる。よもや彼も王太子妃がろくに供もつれずに旅をしているなど考えもしなかっただろう。
「なかなかいいものを連れて来てくれたよ。王家に圧力を掛けるには、充分な人質じゃないか? なあ?」
 ティルの笑みには毒が含まれていた。
 彼はやはり、一介の盗賊などではない。彼の背後には――彼自身には、何かがある。クラウディアは背筋がうすら寒くなるのを感じた。いまだかつて、他人に対して恐れを抱いたことのない自分が、こんな同い年の少年に怯えるなど。信じがたい事実に、クラウディアは思わず自嘲とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべた。



 ルーラたちが通されたのは、比較的広い部屋であった。洞窟の形状を巧く活かして、座敷牢のようなものを作り、そこに『商品』を監禁できるようにしている。二人も当然、その中に閉じ込められるはずであったが。
「何をするの」
 リオラの悲鳴に、ルーラは背後を振り返る。赤毛の男が、徐にリオラを抱きしめ、その首筋に唇を這わせたのだ。これには彼女も驚いたであろう。貴族の家に生まれ、行儀見習いとして王宮に上がり、世の裏側など何も見ずに生きてきた『お嬢さん』である。よもや自分がこのような目にあうなど、想像すらしていなかっただろう。
「やめなさい、やめて」
 衣を裂くような悲鳴を聞きながら、ルーラの心は冷めていた。
「おまえは、怖くないのか?」
 今一人の赤毛が、興味深そうにルーラを見つめる。彼にしてみれば、肝の据わった女だと思っているのかもしれない。ルーラのゆるぎない青の瞳を覗き込み、赤毛の男は僅かに眉を顰めた。
「彼女がどうなろうと、興味がないようだが?」
「……」
 実際、興味などない。リオラが汚されようと、売られようと、心は少しも痛まない。ルーラにとって、リオラはそれだけの価値もない。視線でそう告げると、男は目を細める。ルーラの真意を測りかねているのか。それとも、薄気味の悪い女と認識したのか。
「いや、ルーラ様、ルーラ様」
 悲痛な叫びを残して、リオラが引き摺られていく。洞窟内に響く声に刺激を受けたのだろう、あちらこちらから盗賊が顔を出し、好奇の視線をリオラに向ける。砂糖に群がる蟻の如く、リオラに興味を持つ男達が増えるのを目の当たりにして、ルーラは口元をゆがめた。野蛮なる輩の欲望は、際限がない。捕らえた蝶を嬲りながら屠る蟷螂の如く、仔羊を弄ぶ狼の如く。嗜虐心と情欲を満たしきるまで、獲物を放すことはないだろう。
「おまえは、怖くないのか?」
 赤毛の男の問いに、ルーラは微笑で答える。尤も彼女の微笑を認識できるのは、王太子夫妻くらいなものであるが。
「自分の身くらい、自分で守れる」
 抑揚のない声で応じれば、赤毛の男は「面白い」と鼻で笑った。皆がリオラに眼を向けるなか、彼だけはルーラの腕を掴み、別室へと足を向ける。思わぬ形で上玉が手に入り、彼も浮かれているに違いない。掌に触れる感触が、女性のそれではないことに、赤毛の盗賊は気づいていないようだ。人間とはどこまでも愚かしいもの――ルーラは心の中で彼に冷笑を浴びせる。


 連れ込まれた先は、やはり牢にも似たやや広めの部屋であった。格子の向こうに乱れた敷布が置いてある。ここで捕らえられた者たちがどのような目にあっていたか。容易に想像できる光景であった。
「いい、女だな」
 赤毛の盗賊は、ルーラの顔を覗き込み、満足げに微笑む。美形揃いといわれるフィラティノアの女性の中でも、ルーラほどの美貌を持つものはそうそう存在するものではない。ゆえにルーラは珍重され、神殿に引き取られた。オルネラの神殿にて、裏巫女として養育された。旅人を――旅人の中でも特に賓客をもてなすものとして。
「……」
 冷めた目で自分を見るルーラを、どう思ったのか。怯えもせず、騒ぎもしない女を、不思議に思わなかったのか――盗賊は警戒することもなく、ルーラの縄を解いた。彼女の剣客ぶりを見せ付けられてなお、剣がなければ男である自分に力ではかなうまいと愚かな過信をしているに違いない。その過信が、命取りになることも知らずに。
 来い、と腕を引き寄せられたルーラは、素直に盗賊の胸に倒れこんだ。ディグルとは違う、無骨で厚い胸板に、かつての記憶が蘇る。僅かに顔をしかめたルーラの表情を写し取ったかのように、盗賊の顔色もまた、変わった。
「――? おまえ、まさか」
 全身で、彼は感じてしまったのだろう。いま、腕の中にある身体が、女性のそれではないことに。柔らかく、まろみを帯びたイキモノではない、自身と同じ骨ばり、牙を持つ『狩る側』のイキモノだということに。
「気づくのが、遅かったな」
 冷ややかにルーラは言い放つ。盗賊は驚愕に目を見開いたが、揶揄するように口元を歪めた。
「女装の男か」
 軟弱な――言いかけた唇が、そのままの形で固まった。ルーラの手が僅かに動き、盗賊の首に絡まり
「……!!」
 そして。
 洞窟の中に、陰に篭った嫌な音が響いた。
 揺らめく蝋燭の明かりに映し出された、二つの影。そのひとつがくたりとくずおれ、床に落ちる。糸の切れた人形、その表現こそ相応しい呆気ない最期であった。ルーラは足元に転がる骸を一瞥すると、何の感慨も残さずに踵を返す。
(妃殿下)
 彼女の心を占めるのは、他でもない。最愛の人の存在であった。


 気配を殺し、廊下にあたる部分に足を踏み出せば、そこには誰もいなかった。皆、リオラの元に詰めているのだろうか。リオラも流石に貴族の娘、洗練された姿に、日に当たらぬ白磁の肌、柔らかに波打つ月光の雫を思わせる髪を持っている。辺境の盗賊どもにしてみれば、この上ない極上の獲物だろう。きつい印象を与えるルーラよりも、寧ろリオラのほうが男性受けはするようである。ことに、怯える娘は、彼らの狩猟本能をかきたてる。
 いざとなれば、リオラは切り捨てる。
 ルーラはひたすらクラウディアの姿だけを捜し求めた。彼女はまだ、あの『頭』なる少年の元にいるのだろう。彼はクラウディアにかなり興味を持っている――ということは、部下に下げ渡す気はないはずだ。あの少年の腕がどれほどにしろ、クラウディアは自身の身が守れぬほどのか弱い娘ではない。寧ろ、自身に危険が迫ったと確信した瞬間、冷酷なる断罪者に変貌する恐れがある。
 剣を振るうときの、クラウディアの嬉々とした表情。
 あれは、戦乙女の顔だ。
 否、戦場を駆ける冥府の乙女の(かお)だ。
(妃殿下)
 けれども、その愉悦に満ちた瞳が美しいと思う。慈悲など知らぬと言い切ってしまう、クラウディアが愛しいと思う。
 彼女のためならば、どれほどの人間を犠牲にしても構わない。
 誰が苦しんでも泣いても構わない。
 クラウディアを生かすためであるなら、自身こそ非情となろう。
 人気の絶えた洞窟内を進みながら、ルーラはただひたすらそれだけを思った。クラウディアを救出し、ここを出る。馬を奪い、近くの領主のもとに駆け込めば、保護してくれるだろう。あとは、王宮に使者を送るだけである。最早一刻の猶予もならない。早くクラウディアを救わねば――ルーラが更に足を早めたときである。
「だれ?」
 通り過ぎた洞窟、その傍らにぽっかりと開いた横穴の向こうからか細い声が聞こえた。女性の――少女の声である。自分たちのほかにも捕らえられた娘がいたのだ。ルーラはそう判断し、無視して先に進もうとしたのだが。
「いかないで」
 お願い、と切なる声を背に受けて、ルーラは足を止めた。捕らえられた娘にしては、様子がおかしい。ルーラは不審に思いつつ引き帰し、声の聞こえた横穴の入り口を覗き込んだ。そこは、首領の部屋と同じくらい広い空間となっており、中に衝立があるのが見えた。声の主はその向こうにいるのだろう。ということは、かなり破格の待遇となっている。もしや、首領の愛人の類ではないだろうか。と、考えてから、ルーラは自嘲した。盗賊の首領といえど、彼はまだ小倅である。どう見ても、クラウディアと同い年くらいにしか見えぬ彼が、女を囲うだろうか。
「ごめんなさい。あかり、きえそうだから」
 油を継ぎ足して欲しいと、声が告げる。
 ルーラを盗賊の一人と勘違いしているのだ。
「……」
 静かに音を立てぬよう、中へと踏み込む。獣の皮を帳代わりに使用した衝立の向こうには、夜具が一式置かれていた。ということは、やはり首領・ティルの愛妾なのか――思ったせつな、ルーラはその部屋の主と眼が合った。夜具の上にちょこんと座り込んでいる、小さな人影。少女というよりも、子供といったほうが相応しい、十歳にも満たぬ幼い子供。彼女は大きな濃紺の瞳をくりくりと動かしながら、じっとこちらを見つめていた。
「だれ?」
 それは、こちらの台詞である。
 ルーラはしばし無言で少女を見ていた。紺というよりも、瑠璃といったほうが良いのだろうか。黒髪に瑠璃の瞳は、巫女姫の証。だが、少女は瑠璃とも言い切れぬ深い青の瞳に、銀というよりも白髪に近い艶のない白い髪だった。何かの衝撃で、髪の色を失ってしまったのではないかと、ルーラは推測したのだが。
「だれ?」
 もう一度、少女が尋ねた。ルーラはすっかり毒気を抜かれてしまい、
「ルーラ」
 短く自身の愛称を答える。
「るーら」
 少女は口の中で繰り返し、名の意味を咀嚼するように眼を細めてから
「リィル」
 自身の胸を指差した。リィル、というのが彼女の名前なのだろう。ルーラが「リィル」と呼びかけると、彼女は嬉しそうに笑った。
 しかし、この少女は何者なのだろう。
 ルーラはますます不審に思う。あのティルという盗賊の首領といい、このリィルといい。それぞれに、神聖帝国ゆかりの瞳を具えている。無論、ふたりとも完全な『帝国の色』とは言えぬ、微妙に赤味が強かったり、青が濃かったりする『まがいもの』めいた色合いなのであるが。それでも、これは何かの符号なのではないか。この盗賊団は、只者ではない。ただの辺境を荒らしまわるならず者ではない。
 ルーラは声もなく白髪の娘を見つめた。少女は何を思うのか。屈託ない笑みをルーラに向けて、
「リィル」
 再び自身の名を繰り返したのである。


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