AgneiyaIV
第二章 輝ける乙女 
4.美獣(1)


 呼び出された先が、まさか、紫芳宮とは。
「こちらにどうぞ」
 案内の侍女に導かれるまま、その内部へと歩を進めたカイラは、我が目を疑った。母国ミアルシァの高貴な姫が、アヤルカスに滞在している。その姫からの依頼だと、使者が来たのはつい先程のことであった。これから自分についてくる気があるのなら、すぐに出発するといわれ。カイラはとりあえずジェリオに留守にする旨を伝えて外出したのだが。
 呼び出された先が、紫芳宮。アヤルカスの王宮でもあり、神聖帝国の皇宮でもあるその建物は、当然彼女が標的としていたアグネイヤ四世が住まう場所でもあるのだ。
(罠、とかいうわけではないようね?)
 前を行く侍女の背中を見つめ、カイラは内心呟いた。幾ら神聖皇帝といえど、神ならぬ人の身であるアグネイヤが、カイラの居場所を知るわけが無い。しかも、そのカイラがジェリオを伴っていることなど夢にも思っていないだろう。ドゥランディアの秘薬で虜にしたはずの彼だが、いまだカイラにも制御不能なところがある。とりあえず記憶を奪ったところまでは良かったのだが、彼の心までは虜に出来てはいない。今の危うい状態で、アグネイヤと彼を再会させるのは危険である。そう思っていた矢先の呼び出しだった。
「姫がお待ちかねです」
 通されたのは、宮殿から僅かに離れた場所に存在する、小宮であった。こちらには、アヤルカス国王の花嫁候補たる異国の姫君が逗留しているという。ミアルシァからも、生贄となる姫が差し出されたのかとカイラは溜息をついた。アルメニアの属国化を望むミアルシァ国王は、是が非でも世継ぎの皇女であるアグネイヤの命を奪おうとしている。皇太后リドルゲーニャの妨害さえなければ、今頃アグネイヤは露と消えていたはずであった。思い返すに口惜しい、逃した獲物。
 まだ、国王からの依頼は生きている。取り下げられてはいない。
 で、あるならば。行きがけの駄賃として、アグネイヤの命を奪ってもよいのではないか。
 しかるのちに、ミアルシァの姫をアヤルカス国王に嫁がせ、かの国を属国化する。悪い話ではないはずである。
(わたしに出来ることは、所詮殺しだけだからね)
 捨て鉢に呟くと、侍女が不審そうにこちらを振り返る。カイラがなんでもないわと笑みを返したとき。
「お待ちしておりました」
 聞き覚えのある声が、耳に響き。目の前の扉が開けられる。
 そこにいたのは、果たして顔見知りの女性であった。アガタ、という名の古参の侍女である。
「あら?」
 彼女がここにいるということは。カイラは室内を目で探った。と、想像の通り奥から顔を覗かせたのは
「ルクレツィア様」
 封印王族――ミアルシァの恥と呼ばれる、赤みがかった瞳を持つ公女であった。懐かしきかの公女は、以前と変わりなくにこやかにカイラを迎える。幼い頃より離宮に幽閉されていた彼女は、今回は生贄として他国に使わされたのか。カイラはかの姫を腕に抱き、そっと唇を重ねた。
「ご無沙汰しております、殿下」
「殿下はやめてちょうだいな。わたしは、キアラ公の娘ですから」
 ほほ、とルクレツィアは笑う。その笑みもカイラの知るものより大人びていることに気づき、彼女は更に深く公女に口付ける。
「あなたさまは、れっきとした国王陛下の妹君ではありませんか。キアラ公のご息女ではございません。王女殿下にございます」
「それは、内緒」
 ルクレツィアの指先が、カイラの唇に触れる。それがゆっくりと左右に揺れて。今度はルクレツィアの方からカイラに口付ける。
「そんなことを言わせるために呼んだわけではないのよ、カイラ。あなたがセルニダに来ていると聞いて、嬉しかったわ。すぐにでもお願いしたいことがあるの。聞いてくれるかしら?」
「それは、殿下のためでしたら」
「強情なひとね」
 くすくすとルクレツィアは笑い出す。無邪気な笑顔がたまらなく愛しくて、再び手に抱こうとするのを、今度は押しとどめて。カイラはルクレツィアの前に臣下の礼をとる。
 ルクレツィアの依頼は、先程概要を聞いたものとほぼ同じであった。セルニダを発つカルノリア第一将軍の娘の一隊を襲って欲しいとのこと。将軍の娘だけ残し、従者から馬丁に至るまで皆殺しにせよと。しかるのち、かの娘を秘薬で虜にするように。
「両手足の腱を切って、木偶にしてしまっても良いわ。心を壊して、ただ、私のために笑うようにすれば良いの。私のためのお人形になってくれれば良いの」
 かわらない、このひとは。
 うっとりと目を細めるルクレツィアに、カイラは遠き日を思う。
 日がな一日、薄暗い離宮の中で過ごしていたルクレツィアは、文字通り青白く陰気な娘であった。誰と話すわけでもなく、本を読むわけでもない。生まれたことこそが罪だと、そういわれ続けて。実の親からも疎まれる存在であった。だからなのだろうか。彼女は、一人遊びが好きだった。ひとりで人形を着せ替えて、物語を作って遊ぶことが好きだった。時折招かれる吟遊詩人の語る物語を、一言一句違えずに覚え、その物語の通りに、演じる――自身を、人形を使って。
 いつしか、人形が生きた娘に代わったのは、自然の成り行きなのだろうか。
 城に奉公させる、その名目で集めた娘を、ルクレツィアは自らの玩具にした。意に沿わなければ、人形の如く破壊して打ち捨てた。反対する従者や侍女、女官をも同じように破壊していった。

 ――ルクレツィアを殺せ。

 国王よりの命を拒んだのは、そのときが初めてだったかも知れぬ。そして、今後二度とないだろう。カイラの手で快楽を覚えたルクレツィアは、つぼみのままに妖しく花開いた。
「カイラ」
 今夜は、泊っていくのでしょう? とルクレツィアが耳元で囁く。未熟な果実の誘いは、甘美な響きを持ってカイラの耳を打った。彼女はきらきらと目を輝かせるルクレツィアの頬に唇を寄せて、小さく頷いた。



 城下に出るたび、負傷して帰ってくる――
 イリアはそう言って頬を膨らませた。
「どれだけ妻に心配をかければ気が済むのかしら?」
 血の滲んだ唇に冷やした布を押し当てて、アグネイヤは苦笑した。眼で「すまない」と謝る、それ以外応えるすべは無い。
 エーディトと共に紫芳宮に戻った彼女を迎えたのは、怒り心頭のイリアであった。心配を通り越して、腹が立ってきたのだろう。茶会を抜け出して、アグネイヤの看病にいそしむ彼女は、世間の細君と同様、夫の無茶を言葉と視線で窘める。
「また、殴られたの? あなたって、殴りたくなる顔をしているのかしらね?」
 覗きこんでくるイリアの視線を逃れるように、アグネイヤは眼を伏せた。妻には、暴漢に殴られた、といっている。強引に唇を奪われた、とは間違っても告げられない。
「軟弱な男に見えるんじゃないか?」
「確かに、男から見たらムカつく顔よね。優男で、いかにも女の子にもてそうで。ついでに、そういうこと自覚していなさそうで」
「イリア」
「殴りたくなるのも解るけれども」
 そっと、イリアはアグネイヤの手に触れる。驚いたアグネイヤが眼を上げると、彼女は無言で布をどけた。
「これは、殴られた傷じゃないわよね?」
 イリアの眼が光る。気づかれたのか、とアグネイヤは息を呑んだ。
「怖い思いを、したのでしょう?」
「イリア」
「これ、噛まれたあとだもの」
 イリアの指先が、唇に触れる。アグネイヤは肩を揺らした。
「ひどいこと、するわよね。乙女の唇をなんだと思っているのかしら」
 更に彼女の怒りは高まったようである。瑠璃の瞳が暗く燃え、彼女は拳を固めて立ち上がった。許せない、と一言低く呟いて。
「よりによって、乙女の初めての口付けを、力ずくで奪うなんて」
 極刑よ、極刑、と繰り返しながら部屋を出て行こうとする。おそらくリナレスのもとにいき、彼を締め上げて『暴漢』の居場所を白状させるつもりであろう。しかるのち、その暴漢を嬲り殺す――位のことは、しかねない。イリアはそういう娘である。
 アグネイヤは慌ててイリアの手を掴んだ。が、イリアは
「止めないで。あたしの怒りが収まらないの」
 まるで聞く気配が無い。本当にこのまま件の青年の下に赴いて、自ら手を下さぬまでも華々しい拷問を繰り広げそうな勢いである。
「大丈夫。僕は、大丈夫だから」
 必死に止めるアグネイヤの声も彼女の心には届かぬようで。
「駄目。アグネイヤは優しすぎるのよ。こういうことはね、ビシッと決めないと。ああもどうしてくれよう。自分も同じ目にあうと良いんだわ。男色家の、ムキムキなオヤジに一晩中弄ばれるといいかもね」
 更に過激なことを言い出す始末。アグネイヤは溜息をつき、イリアの肩を抱き寄せた。
「本当に、大丈夫。大丈夫だから」
「アグネイヤ」
「ありがとう。僕のために」
 背後から、強くイリアを抱きしめる。無垢な巫女姫は、まるで騎士の強引な求愛を受けた令嬢の如く身を硬くした。その気配に気づき、「ごめん」とアグネイヤが離れようとするのを
「いいの」
 彼女の側に向き直り、その首に腕を回した。
「アグネイヤなら、いいの。皇帝陛下なら。輝ける乙女は、神聖皇帝のものだから」
 耳元の囁きに、アグネイヤは顔を赤らめた。一種、愛の告白めいた言葉――男女間の会話なれば誘いとも取れる台詞に、胸が高鳴る。鼓動が、イリアにも聞こえてしまうのではないか、と危惧するアグネイヤであったが。
「だから、いいの」
 甘く潤んだ眼が間近に迫ったせつな、くらりと視界が歪んだ。
「清めて、あげる」
 イリアの声は掠れていた。囁くように、呟くように。告げると彼女は眼を閉じる。そっと背伸びをした巫女姫の、柔らかな唇がアグネイヤのそれに重なった。
「……」
 ジェリオのときのような、甘い痺れは感じられなかった。カイラのときの嫌悪感も。カルノリア士官の恐怖も。そこにはなかった。ただ、静かに。清浄なる気配が唇を通して与えられたような。不思議な感覚だけがあった。これが、巫女姫の癒しなのか。浄化なのか。イリアの一途な思いが、漣の如く全身に広まっていくのを感じる。と、同時に、イリアへの強い愛情――彼女をいとおしいと思う気持ちが胸の奥から湧き上がる。
 アグネイヤはイリアを抱く手に力を込めた。もっとイリアを感じたい。その欲求のまま、するりと舌を差し込むと。
「……っ?」
 イリアが弾かれたように唇を離した。
「え?」
 先程の大胆さとは打って変わって、今度はイリアが赤面している。彼女は零れんばかりに眼を見開いて、アグネイヤを見つめていた。
「なに?」
「って。なに、じゃないわよ。どこで覚えたの?」
「なにを?」
「だから」
 イリアはますます赤くなる。アグネイヤは訳がわからず、首を傾けた。彼女は何を言っているのだろう。
「本能、とかいわないでよ? やだ、もう」
 ここに至り、どうやら舌を差し込んだことを言っているらしいと気づいたアグネイヤであるが。なぜ、イリアがそこまで恥ずかしがるのか。その意味は解らなかった。初めての口付けのときから、普通にそれは行われていたのだが。
 普通、ではないのだろうか。
「ごめん」
 イリアの気分を害してしまったのだ。アグネイヤは素直に詫びた。が、イリアは激しくかぶりを振って、再びアグネイヤに抱きついてくる。
「違うの。嫌なんじゃなくて、違うの」
「イリア?」
 妻の言動にアグネイヤは困惑した。彼女は何を拒絶して、なにを求めているのだろう。その心がわからない。ぎこちなくイリアの背に腕を回し、宥めるように愛撫する。と、イリアは
「驚いただけ。だから、アグネイヤは謝らなくていいの」
 乙女心と秋の空は移ろいやすいものだというが。アグネイヤにはイリアの変化がわからず、ただ戸惑うだけであった。こういうとき、ジェリオであればそつなく対応してしまうのではないかと、折に触れて彼のことを思い出す自分が情けない。

 ――初めての口付けを、力ずくで奪うなんて。

 イリアの台詞を反芻し、アグネイヤは小さくかぶりを振った。
(違う。初めてじゃないんだ)
 初めての口付けは、ジェリオに奪われた。強引に。イリアがそれを知れば、彼女はまた怒るだろうか。そして、そのジェリオが自分を殺すと。いずれ命を奪いに来ると、宣言していると知ったならば。


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