AgneiyaIV
第二章 輝ける乙女 
3.陰謀(1)


 即位から二ヶ月。政務に終われ、あわただしい日々を送っていたアグネイヤの元に、一通の手紙が届けられた。差出人は、クラウディア。フィラティノアの検閲を掻い潜っての書状かと思いきや、
「婚礼の儀ののちは、かなり自由に過ごされていらっしゃるようですよ」
 リナレスの言葉によると、クラウディアは王太子の側室とともに、国内視察に出向いているという。そのようなことよりも早く世継ぎを、と国王夫妻は気を揉んでいるようであるが。

 ――まだ、母となるには早すぎます。

 十六歳となったばかりであることを盾に、クラウディアは世継ぎをもうけることを拒絶している模様である。そのようなことも、懐かしい片翼の直筆とともに書き綴られ、同封された彼女の手による繊細なる刺繍の施された肩掛(ショール)は、馬車の中で、時には船の中で手慰みに作ったものであると書き添えられていた。
「器用なのね、クラウディア殿下は」
 作品を手に取り、イリアが感嘆の声を上げる。薄紅の布地に、金糸銀糸で縫い取られた鮮やかな小花の模様を日に透かし、彼女はうっとりと見惚れていた。
「また、腕を上げたみたいだ」
 新妻の様子を見やり、アグネイヤは静かに微笑む。何においても自分より一歩先を行くのがクラウディアである。幼い頃から、そういった引け目を感じてきたし、今も即位のことで微妙な負い目を覚えている。本来であれば、フィラティノアに嫁ぐのは自分であったのだと思うと、異国で苦労をしているであろう片翼にすまない気持ちで一杯であった。彼女の傍に、ルーラがいると思うと安心な反面、彼女が実は男性であることをクラウディアが気づいているかどうか。ルーラの心情によからぬ変化が起こってしまってはいまいかと、どうしてもいらぬ気を揉んでしまうところが、自身の悪いところだとは充分承知しているつもりであるが。
「夫婦仲は、よさそうだね」
 アグネイヤから送られた夫婦揃いの腕輪は、自分もディグルもちゃんと嵌めているとクラウディアの手紙にあるのを見ると、不安を残しつつも少しは心が軽くなる。そんなところは、単純に出来ているのだろうか。
「次は、アヤルカス国王陛下のご結婚ですね」
 たたまれた書簡を受け取りながら、リナレスが意味深長な笑いを浮かべる。即位と同時に大量に送りつけられた姫君たちの肖像画、そのなかより幾人かの候補を選んで現在(はなし)談が進められている模様である。最終的に三人ほどに相手を絞り、ジェルファ自身が后を指名することになるそうだが。
「近々、件の姫君たちを招いての宴が催されるそうです」
 リナレスの言葉に、アグネイヤは目を丸くした。
 肖像画だけではなく、実際面談しての花嫁選びとするのか。
「随分大胆なことをするものだな」
 苦笑をすれば、リナレスも深く頷き。
「ですよねえ。夜伽の舞姫を選ぶわけではなし。――招待されているのは、エランヴィアのリーゼロッテ王女、ヒルデブラントのマリエフレド公女、カルノリアのシェルマリヤ姫ですね」
 あとは、ミアルシァのルクレツィア公女だとついでのようにリナレスが付け足す。その、どの姫君の名に反応したのか。イリアがふと動きを止めたのをアグネイヤは見逃さなかった。
「知り合いでもいるのか?」
 正室を振り返れば、イリアは小さくかぶりを振りかけた。が、思い直したように
「うん」
 と頷く。
「シェルマリヤ、って言ったわよね、いま。多分、彼女のことは知っているわ」
 亜麻色の髪の、男装の麗人だとイリアは言った。
 シェルマリヤはカルノリア第一将軍の娘であると同時に、皇帝の姪でもある。市井に出向く酔狂さを持ち合わせているのかも知れぬが、当時はまだ一介の占い師であったイリアの元を訪れたというのであるならば、腑に落ちぬ行為である。
 怪訝そうなアグネイヤの表情に、イリアは気まずさを覚えたのか、軽く首をすくめた。
「亜麻色の髪、ですか?」
 ぎこちない空気が流れた夫妻の間を割ったのは、リナレスの頓狂な声である。傍付きの侍女たちはくすくすと笑い出し、アグネイヤも呆れ顔で乳兄弟を見やる。
「それは違いますよ、巫女姫。シェルマリヤ姫は黒髪です。伯父上と同じ、漆黒の髪。目は、青かったと記憶していますがね」
「嘘でしょ?」
 今度はイリアが声を上げる番であった。彼女が主張するに、瞳の色はわからぬが、髪は確かに黒ではなかったという。
「他のシェルマリヤ姫かもしれませんよ。なんたって、カルノリアに多い名前ですからね。あちらを向いてもシェラ、こちらをむいてもシーラ、って感じで。シェルマリヤだかシェルダ・ルダだか、シェルニアータだがシェルファエナだか。わけ解らなくなりますからね」
 よくぞあの国の人々は、名前を間違えぬものだとリナレスはつまらぬところで感心している。
「せっかくですから、他の姫君も含めてお顔を検分してみますか。肖像画は、まだ飾られているはずですよ」
 リナレスの提案で、イリアはかの姫の肖像画を見ることになった。アグネイヤも異国の姫たちに興味を覚え、同行することにしたのだが。
「いやらしいですねえ、陛下。ひとさまの花嫁を物色する助平親爺みたいですよ」
 くくくと笑われ、目を吊り上げた。
 イリアも『夫』が、他人の花嫁候補に興味を示したら不愉快なのだろうかと、そっと彼女の表情を伺うが、特に何も感じていないようである。寧ろ、少女同士、身内の未来の花嫁をこっそり垣間見ることにときめきを覚えているようだ。アグネイヤの腕に軽く自身のそれを絡め、肩に頭を預けてくる。
「イリア」
 頬を染めるアグネイヤに
「おやおや、こちらのご夫妻は仲睦まじいことで」
 リナレスは冷やかしとも皮肉とも取れぬ言葉を投げかけた。



「私の肖像画を、アヤルカス国王に送った、だと?」
 静かに揺れる馬車の中。過ぎ行く景色を見ることもなく、侍女の言葉にシェルマリヤは眦を吊り上げた。
 此度のアヤルカス行きは、皇帝の名代として神聖皇帝及びアヤルカス国王への祝辞を述べることが役目だと、父からも言い含められていた。母も取り立てて何も説明することはなく、

 ――セルニダは文化の香りの高い街と聞いております。数ヶ月、留学をするのも宜しいでしょう。

 しれっと言ってのけたものだ。
 それは無論表向きの口上で、実際は再興間もない神聖帝国の内情を探ってこいと――父からの命令も発令されている。シェルマリヤは臣籍にあるとはいえ、れっきとした皇帝の姪である。本来であれば、アレクシア皇女もしくはエルメイヤ皇太子が赴くところを、その代役としての名誉を与えられた。それはそれで、嬉しいことでもある。更には、異国への潜入。これに関しても彼女の実力を認められた証拠だ。と、思っていたのだ。この話を聞くまでは。
 実は自身が知らぬ間に、アヤルカス新王の花嫁候補とされていたとは。道理で荷物の中に普段は袖も通すことのない衣裳(ドレス)が何着も詰め込まれていたわけだ。
 古来、花嫁とは異国からの密偵・刺客の類と言われている。確かに、花嫁と言う名の密偵が最も有益な駒であることは分かっていた。それならばそれで、先にそう告げていてくれれば。故郷を出るときの覚悟ももっと違ったものとなっていたかもしれない。
 おそらく誰も何も言わなかったのは、男性として生きんとするシェルマリヤが、花嫁となることに対して抵抗を見せると思ったに違いない。
(見くびられたものだな)
 実の父にまでそう思われていたとは。父は彼女を男子として扱うと言っておきながら、中途半端なところで女性として見ていたのだ。軽い失望が胸を過る。
 黙り込んだシェルマリヤの胸の裡を誤解したのか、
「ユリシエルで人気の仕立て屋が心をこめて仕立てた衣裳です。きっと、シェラ様にお似合いですわ」
「そうですわね。それに、アヤルカス国王陛下。あの方は、女性と見紛う程の美形とか。お会いするのが楽しみですわね」
 ほほほと殊更明るい笑い声を立てる。
 話によれば、まだ、シェルマリヤが花嫁に確定したわけではない。あくまでも花嫁候補の一人として扱われると言う。他にも美姫の誉れ高いエランヴィアのリーゼロッテ姫、大国ヒルデブラントのマリエフレド公女が候補に挙げられているというのだから。カルノリア皇帝の姪にして第一将軍の娘、等と言う微妙な立場の自分は、初めから蚊帳の外だろうとは思うが。夜会、茶会と称した宴の中で、アヤルカス国王はシェルマリヤの一挙一動を舐めるように検分して、花嫁に相応しいかどうか判断するのであろう。
「私は、野菜か。果物か」
 憤るシェルマリヤを宥めるのに、侍女たちが苦労したのは言うまでもない。
「私は、侍従武官の一人だぞ? 普通のご令嬢のように、花嫁が勤まると思うか」
 乱暴に椅子に座りなおし、長靴に包まれた足を高く組む。その仕草に侍女たちが苦い顔を向けるのもどこ吹く風で、男装の姫君は端正な美貌を僅かに歪めた。
「どうせ断るに決まっている。雪深い国の田舎臭い男女(おとこおんな)になんぞ、興味を示さぬだろう。洗練された若君は」
「シェラ様」
 侍女が眉を顰めたが、彼女は取り合わなかった。
 もともと、父にとってはいらぬ存在であった自分である。どうしても、跡取りが欲しい、男子が欲しいと願う両親の意に反して、第一将軍の家に生まれるのは姫ばかりであった。三女のシェルマリヤが誕生した折に、父はついに堪忍袋の緒が切れたのか、

 ――この娘は、武官にする。男として、家を継がせる。

 とまで言い出したのだ。驚いた母の反対と、義兄である皇帝の諌めもあって、シェルマリヤは女性の名を与えられたものの。女性近衛騎士団に入隊させられた。が、養成所である士官学校を卒業し、皇女の侍従武官として数ヶ月勤めたと思ったら、今度は皇帝直属の侍従武官とされ。ついには密偵のような仕事までさせられるようになったのだ。
 伯父はそれだけ自分を信じているといい。父は娘が皇帝と国の役に立てるのは喜ばしいことだと、常々母に語っていた。
(そんな私を、なぜ)
 父は、シェルマリヤが男装をすることを喜んだ。彼女を男子として扱い、時には心よりそう思い込んでいるのか――錯覚してしまっているのかと思うほど、シェルマリヤが女子であることを忘れているような言動をした。それなのに、なぜ、急に。
 よりによってシェルマリヤをアヤルカスに嫁がせようというのか。
 自分が政略結婚の駒になることを予想していなかったわけではない。男子として扱われても、所詮身体は女性。いつかは婿を取り、家を継ぐのだと諦めていたつもりであったが。まさか、自分が異国に嫁ぐことになろうとは。
(まだ、決まったわけではないか)
 幾度目かの溜息を吐く。イライラと親指の爪を噛むと、侍女が被りを振ってその手を退けさせる。
「爪が痛みます、姫」
 大事な商品に、傷はつけたくないというわけか。
 そう思うと、無性に腹がたつ。
「神聖帝国の皇帝陛下は、女性と伺っております。女性ながらに、男性として即位をされた方――シェラ様とお話も合うのではないでしょうか」
 とってつけたような侍女の言葉に、シェルマリヤは視線を鋭くした。が、ふとあることを思い出し、目を細める。
「確か、神聖皇帝の正室は、『巫女姫』といっていたな」
 アンディルエの巫女、そう呼ばれる神聖帝国の礎の姫。かのひとが、いつぞや出会ったあの占い師の少女であるならば。セルニダに出向けば、彼女と会えるのだろうか。
「宴は皇帝陛下、国王陛下主催となっております。おそらく、巫女姫もご臨席されるでしょう」
「そうか」
 すべてを見通す、瑠璃の瞳を持つ占い師。彼女の面影を心に描いて、シェルマリヤは無造作に髪をかきあげる。結わずに垂らした黒髪が、指からはらりと零れ。白磁の肌に影を落とした。


 セルニダは、神聖帝国の首都であると同時にアヤルカス王国の首都でもあった。
 アルメニア帝国の宮殿であった紫芳宮は、そのまま両国の宮殿として現在も利用されている。一人の皇帝と一人の国王が同じ建物内に存在し、それぞれの国の政務を行うという異常事態はそれほど長くは続かぬであろうというのが、大方の見解あった。
 事実、神聖帝国もしくはアヤルカス王国のどちらかが新首都の建設に乗り出しているとまことしやかに囁かれている。候補地として挙げられた土地のいくつかを実際に皇帝の側近が見回っていると言う話に、さもあらんと頷く面々は多かった。
「ユリシエルとは、だいぶ違うな」
 馬車から降り立ったシェルマリヤは、青い目を細めて紫芳宮を見上げる。広大にして壮麗、としか聞き及んでいなかったその宮殿は、噂に違わぬ威容を彼女に見せ付けていた。雪に埋もれるカルノリアの首都ユリシエル、その雪の重みに耐えられるよう、見目よりも強度に拘ったつくりである皇宮に比べ、気候温暖なアヤルカスに存在する紫芳宮は見た目の華やかさを強調しているのか、やけに眩しく映った。一分の隙もなく敷き詰められた、丁寧に磨かれた石畳。上を通過する轍に衝撃を感じさせない優れた技術にも肝を抜かれた。
「確かに、学ぶべきことはありそうだな」
 建築の都、芸術の都、と呼ばれ、古くより留学遊学を求める人々が絶えなかった街。ここの暮らしを体験するのも悪い話ではない。
 但し、花嫁候補として値踏みされることさえなければ。
「どうぞこちらへ」
 恭しく案内をする紫芳宮の女官に従い、彼女は建物の中に足を踏み入れた。毛足の長い絨毯が敷かれているカルノリアと異なり、セルニダは床がむき出しであった。しかし、それはまるで「舐めたように」との表現が相応しいほど磨き上げられ、ぼんやりとシェルマリヤの姿をそこに映し出している。
 黒い髪を高々と結い上げた、男装の姫君。
 ユリシエルでは彼女を知らぬものがない故に、奇異なる目を向けられることは皆無だが、この国ではどうであろうと密かに反応を期待していたのだが。取り立てて誰も何も言わず。彼女が通っても目を丸くしたり驚いたりするものはいなかった。
(そうか)
 そういえば、この国の皇帝は、男装の姫君であったのだ。既に戸籍の差し替えも行われ、誕生したときより男子であったとされた、若き皇帝―アグネイヤといったか――彼女は、シェルマリヤよりもひとつ年下だというが。どのような人物であるのか。
「会ってみたいな」
 ポツリと呟く。花婿となるであろうアヤルカス国王よりも、神聖帝国皇帝に興味を持ってしまうなど。両親や伯父が知れば、苦笑するか怒るか。どちらかであろう。
「カルノリア第一将軍ご息女、シェルマリヤ姫のご到着でございます」
 広間に響き渡る先触れの声に、シェルマリヤは顔を上げ背筋を正し、前方を見つめた。


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