AgneiyaIV
第二章 輝ける乙女 
2.初夜(3)


 宴はいつしか終わりを迎える。明けぬ夜がないように。
 夜半近くまで続いていた、婚礼の宴、その幕を閉じるのは主役の一人である花婿である。彼が花嫁とともにその場を退場して、一日目の祝宴は終了する。
「明日は、国民へのお披露目となります」
 介添えとして傍らに付き従うルーラが、クラウディアに告げる。彼女は頷き、ディグルを見上げた。形式とはいえ、望んで得たわけでもない花嫁の手をとって衆目の中を進むなど、彼にとっては不本意であろうが。彼は相変わらず無表情のまま、その冷ややかなる指でクラウディアの手を握り、静かに絨毯を踏みしめている。
 耳に聞こえるのは、優しげなアルードの音色と、澄んだ歌姫の声。
 自身の衣擦れの音。
 そして、招待客たちの無粋なる囁き。

 ――早く、おふたりのお子が見たいものよ。
 ――本当に。

 できれば今夜の契りで、世継ぎを身籠ってはくれまいか。そう思う輩がどれだけいることか。国王夫妻も、クラウディアの懐妊を期待している。まず、フィラティノアの王太子を。それから、神聖帝国大公たる御子を。彼らの願いはわかっている。
 女の身で、男帝として即位したアグネイヤには、子が生まれるわけがない。なれば、自然、彼女の後継はその姉であるクラウディアが産んだ子供が最優先されるであろう。唯一の気がかりは、アヤルカス国王たるアグネイヤの従兄。彼、もしくは彼の子供が帝位継承権を主張するやも知れぬ。
 神聖帝国の名をなんとしてでも手にしたい『北方蛮族』たちは、アヤルカス国王の暗殺も視野に入れているのだろう。アグネイヤの命を狙うと同時に。


 広間を出、王太子夫妻のために新たに建設された離宮に向かう途中、クラウディアは幾度も息をついた。
「お疲れになられましたか?」
 馬車の揺れが、疲れた身体に堪えるのかと、ルーラが不安げに声をかけてくる。その様子を見ていたディグルは、わずかに眉を動かし。正室と側室、ふたりの妃から逃れるように目を逸らした。ルーラは、主人の態度に何を思ったのか。青い瞳に戸惑いの色を浮かべ、これまたクラウディアから視線を逸らす。
(気まずい、わけよね)
 ルーラは、ディグルの愛妾である。本来であれば、自分とは恋敵、永遠に相容れぬ存在であるのだ。けれども、どういった所以か、今はルーラもクラウディアを憎からず思ってくれているようである。何かにつけ、クラウディアのことを気に掛けてくれている――それは、自身の思い過ごし、自惚れやも知れないが。
 少なくともディグルは、それが面白くはないだろう。
 ルーラも、ディグルには遠慮がある。クラウディアとの間で板ばさみとなって、居心地の悪い思いをしているに違いない。
 どことなく不穏な空気を漂わせる二人を、クラウディアは交互に見比べる。
 思えば、夫であるディグルの顔をまじまじと見たのは、今日が初めてであった。この国にやってきて一年、婚約式の際に対面しただけで、以来彼の姿を見かけたことすらない。クラウディアは離宮に閉じこもり――否、閉じ込められ。軟禁同然の花嫁であったゆえ、自身からディグルの元に出向くこともなかった。
(髪、意外と長いのね)
 長髪だ、とはルーラから聞いていた。さらさらと風になびく銀の髪を持つ、白銀の貴婦人に愛された貴公子なのだと。彼女は淡々と語っていた。侍女たちも、

 ――恐ろしいけれども、とても綺麗な方。

 だと、その容姿は褒め称えていた。確かに、ディグルは美しい。
 先程、馬車に乗り込んだときに無造作に髪の留め金を外したら、長い髪が星屑のごとき煌きを以って宙を流れた。その光景に、クラウディアも一瞬見惚れた覚えがある。髪から漂う柔らかな香りに、思わず
「どちらの香をお使い?」
 尋ねたくなったほどだ。
 ルーラと並んだ彼は、まさに女神と彼女に愛される貴公子といった風情で、この二人の間に自分の入る余地は全くないと思い知らされる。
 ディグルを愛するつもりもない。彼の子を産むつもりもない。
 頭から、彼を拒絶しているのは、クラウディアも同じである。おそらく一生、この三人の間に流れる空気は冷ややかなものであろう。間違っても、ディグルと心を通わせる日が来ることはない。クラウディアは、このときそう直感した。
「何を見ている?」
 クラウディアの視線に気づき、ディグルが眼差しを鋭くする。ルーラと同じ、深い青い瞳。凍てつく海を思わせる、北方蛮族の瞳。かつて、神聖帝国を脅かしたその獰猛なる一族の末裔に、今夜自分は嫁ぐのだと思うと、自然、身体が震えた。
「別に。男にしておくのは惜しい美貌ね」
 思った通りのことを口にして、クラウディアは扇を開いた。それで口元を隠すと、欠伸をする。
「どちらが花嫁かわからない、そう言っていた人もいたみたいよ?」
「笑止」
 ディグルは鼻を鳴らした。つまらぬことを、と、口の中で呟き。窓枠に肘をつく。車窓の硝子に映る横顔は、言葉通り欠片の感情も宿してはいなかった。
「後世、詩人はなんと歌うのかしらね。わたしたちのことを。蛮族に嫁がされた、哀れな姫。けれども、夫君である王太子のほうが、姫よりも何倍も美しく洗練された貴公子だった、とか」
「妃殿下」
 クラウディアの言葉を、自棄と取ったのか。ルーラがたしなめるように声をかけて、はっとしたように口をつぐむ。出すぎた真似をした、と思ったのだろう。彼女は気まずそうに睫を揺らし、小さく詫びの言葉を呟いた。
「ご無礼いたしました」
「謝ることはないわ、ルーラ。本当のことだもの。フィラティノアは、神聖帝国の領土を脅かす蛮族の子孫。ずっとそう言われて育ってきたのよ? この国の人たちが、これほど美しくて、洗練されているとは、まるで考えていなかったわ。――書物だけでは、正確な知識は得られないということね」
「妃殿下」
「実際に、城下を見て回りたいと思うの。いいでしょう? もう、王太子妃となったのだから。明日のお披露目が終わったら、時間を頂戴? もっと、この国のことを知りたいわ」
「それは、良いお心がけですが」
 ルーラはそれ以上は言わなかった。今までもたびたび、遠乗りと称しては城下に出ている。無論、クラウディアが望む下町裏町の類に足を踏み入れることはなかったが。これからは、将来の王妃としてこの国のすべてを知りたい、その言葉を盾に彼女はより一層の我侭を言うことだろう。
「――黒髪は、目立つぞ」
 今まで無関心を装っていたディグルが、不意に口を挟む。クラウディアは眦をあげ、ルーラは息を詰めた。二人の妃の視線を受けて、王太子は気だるげに髪をかきあげる。
「異国の花嫁は、黒髪だと。誰もが知っている。明日の披露目が終われば、更にお前の姿は印象付けられる。城下を歩くのは、困難だぞ」
 それは、暗に軽々しく出歩くなと言う忠告なのか。それとも、ただ思ったことを口にしたまでなのか。クラウディアは夫の真意を測りかね、無言で彼を見詰めた。だが、彼はそれ以上は何も言わず、外出許可を出すとも出さぬとも、どちらなのかその顔色からは窺うことは出来なかった。
「その辺りは、考えます」
 クラウディアは、一言。呟くように答えると身体ごとディグルから遠ざかるように反対側の席に――ルーラの隣に移る。ルーラは驚いたように彼女を見、それから何かを気遣うようにディグルを見た。
「ルーラ、一緒に城下に行きましょうよ。また。あなたがお目付け役なら、ディグルも何も言わないでしょう」
「それは」
 ルーラは言葉に窮したようであった。救いを求めるように――他者から見れば、ほんのわずかな動きでしかないが――視線が一瞬だけディグルに向けられる。やはり、ルーラはディグルの妃ではなく、臣下の扱いなのだとクラウディアはそのとき改めて感じた。それが、なぜか寂しくて悔しくて。他人のことであるのに、妙に腹立たしく思えてしまう。
「ディグル」
 そのことを咎めようとクラウディアが口を開きかけたとき。馬車が止まった。
「……?」
 窓越しに外を見おろせば、離宮に通じる巨大な門が開かれるのが見えた。
 離宮に――王太子夫妻の新居に到着したのだ。
 馬車が再び動き出し、背後で門の閉まる音が聞こえる。クラウディアは今更のように息を呑んだ。この先は、ディグルとともに過ごさなければならない。ルーラには、別に館が与えられているとのことである。ルーラもここで一緒に暮らすことは出来ず、クラウディアの傍にあるのは、ディグルと侍女のツィスカ、リオラのみである。

 逃げられない。
 後戻りは出来ない。

 その恐怖が、ゆっくりと足元から這い登ってくる。クラウディアは知らず、身を硬くし。ルーラの腕を強く掴んでいた。
「妃殿下?」
 彼女の震えが、ルーラにも伝わっていたのだろう。最初は驚いたようであったが、ルーラはそっとクラウディアの手を握ってくれた。何も怖いことはない、怯えることはないのだと。その無骨な指先は教えてくれているようであった。


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