AgneiyaIV
第四章 虚無の聖女 
9.比翼(2)


 夢に現れるその人は、十四歳の少女のままだった。

 ――イルザ。

 呼びかけに、美しい彼女はにこりと笑う。けれども、手を伸ばせば、するりと軽く身を交わす。まるで、風に舞う花弁のようだ。

 ――ジェリオ。
 ――大好きよ、ジェリオ。

 愛らしい声に呼ばれるたび、胸が高鳴る。
 ああ、自分は彼女のことが好きなのだ。この世の誰よりも。
 そう強く実感して、更に手を伸ばす。好きだ、と言葉にして彼女に気持ちを伝えた。好きだから、傍にいて欲しい。誰のところにも嫁かないで欲しいと。けれども、少女はかぶりを振った。鮮やかな翠の双眸が、憂いを帯びて甘く潤む。

 ――ごめんなさい。貴方のお嫁さんにはなれないの。

 なぜ。
 彼女も自分を好きだと言ったではないか。それなのに、何故。なぜ、自分を拒むのだ。

 ――それはね。

 イルザが僅かに身を屈める。顔を傾け、彼の顔を覗きこみ、ふんわりと春の風のように笑った。

 ――貴方が、娼婦の子だからよ。



 どん、と胸を貫かれるような衝撃に襲われ、彼は思わず声を上げた。自身の声に引きずられるままに身を起こす。跳ねまわる心臓を押さえ、喉をかきむしるようにして押さえると、ひゅうと掠れた音が漏れた。
 見回せば、そこがアーディンアーディンの館の一室で、隣室には母と兄が眠っていた。彼は次の間に当たる部屋で長椅子に身を横たえていたのだが、
「まったく」
 気づけば身体が半分ずり落ちそうになっていた。魘されたせいで、暴れたのだろう。誰も見ていないと知りつつも、照れ隠しに頭を掻き、毛布をずり上げ、椅子に座り直す。背凭れに深く体を預け、息を整えるが――脳裏に焼き付いた少女の姿は消えることがなかった。
「くそっ」
 軽く舌を打つ。何故今頃、子供のころの夢を見るのだろう。しかも、最も思い出したくない記憶を、瘡蓋を剥がすように思い出させるような夢を。
 内容は、いつも同じだった。楽しげに遊ぶ子供たち。それから少し成長して、思春期に入り互いを意識するようになって。少女は彼を大好きだと言った。だから彼も、好きだと答えた。事実、彼の初恋の人だったのだ、彼女は。イルザという呼び名も、彼だけの特別なものだった。彼女は人からは専らソフィアと呼ばれており、中にはルフィーナと彼女を呼ぶものもあった。
 イルザはカルノリアの皇女で、ジェリオとは身分が違いすぎた。いかにシェルキスがさばけた人柄だとはいえ、娼婦の子供に一国の姫君を降嫁させるわけにはいかぬだろう。今になれば、それが判る。が、当時はどうしても納得がいかなかった。
 その蟠りが、こうして夢になって現れるのか。
 しかも、今更。
 毎夜、目覚めるたびに考えることは同じ。自分の中には、イルザに対する怒りがあるのだ。それを払拭せぬ限り、歪んだ悪夢から逃れることはできない。
 ジェリオは目を閉じた。重苦しさを覚えながらも、再び眠りの世界に誘われた彼が見たものは。今一人の『皇女』の姿だった。長い黒髪を風に弄らせ、振り返った彼女の顔は。

 ――サリカ。

 手を伸ばすことさえ、憚られた。それほどに、傷ついた瞳をしていたのだ。



 舞い散る雪の中、その人はやってきた。灰色の空をそのまま映し取った隻眼を間近にしたとき、
「セラ」
 サリカは、掠れた声でかのひとの名を呼び、その腕の中へと飛び込んでいった。

 剣の師・セレスティン。彼が、アーディンアーディンを訪れたのは、昼と夜との長さが同じになる日の、数日前のことだったか。じきに十八歳の誕生日を迎えようとするサリカを祝うように
「マリサからだ」
 彼は、懐から取り出した指輪を、サリカの指に嵌める。左手の人差し指に輝く金の指輪、それにサリカは見覚えがあった。かつて、双子の誕生日の際にオルトルートが献上したものだ。懐かしさに言葉を失うサリカを見下ろしたセレスティンは、愛弟子の頭をぽんと軽く叩き、
「マリサは、いつもお前の傍にいる」
 耳元で囁いた。
「マリサ――アグネイヤ」
 サリカはそっと、指輪に口付ける。そこに、片翼の温もりが残っているような気がした。心の奥からじんわりと温かなものが溢れ、それが涙となって頬を伝う。セレスティンは苦笑を漏らし、親指で彼女の涙を拭った。相変わらず、泣き虫だ――そんなことを言う師に、サリカは強く抱きついた。
「アグネイヤほど、私は強くありません」
 切れ切れに、抗議の声を上げる。そうだ。自分は片翼と違って、強くはない。誰かの陰に隠れ、誰かに甘えなければ生きてはいけない。表に立って戦うには、弱すぎるのだ。自分は。
 なのに。この数ヶ月、ずっと指揮を執ってきた。国王の政治に不満を持っていた貴族たち、彼らを束ね、その戦力を頼みに国王派と事を構えていた。無論、自分一人ではなく、傍にはエリシアもディグルもいたが、彼女らが表に出ることはなく、軍議に立つのは常にサリカのみだった。それが、どれほど辛かったか。恐ろしかったか。
「誰も……誰も、いなくなったのかと、思いました」
 ルーラが去り、ティルが消え、アーシェルの民も自分を見捨てた。その事実に打ちのめされる暇もなく、国王との争いが表面化して。
「よく、頑張ったな」
 師の腕が、心地よかった。広い胸に顔を埋め、サリカは声を殺して泣き続ける。セレスティンは何も言わず、ただ、あやすようにサリカの背を愛撫していた。


「遅いですよ」
 なんで今頃――ひとしきり泣いたサリカが落ち着いたころを見計らってのことだろう、エーディトが「ぷんぷん」と口で怒りを表現しながら顔を覗かせた。
 離宮と異なり、一領主の館だったとはいえアーディンアーディンの城はかなり手狭である。軍議を開く広間と、新国王夫妻の謁見の間は、同じ部屋だった。先程まで主だった貴族たちが今後についての激しい議論を交わしていたその名残も冷めやらぬこの部屋が、王太子妃――今は、王妃だが――の謁見の間となった途端、これだ。諸侯が全て退室した後であるからよいものの、一人でも残っていれば、何と言われるか。夫ある身で他の異性に縋りついて泣いていた、不義を疑われても反論はできない。このような非常時に、と眉を顰められ、人心の離反にも繋がるやもしれぬ。
 冷静になり、漸く気付いたサリカが師から離れようとしたときにやってきたのが、エーディトだった。
「エッダ」
 サリカは慌ててセレスティンから離れる。
「エーディト」
 セレスティンの端麗な顔に、苦い笑みが滲んだ。
「大事な弟子をほったらかして、何処行っちゃってたんでしょーねー、この色男はっ」
 むすっと唇を尖らせるエーディト。茶化したような物言いだが、言葉の中には本気の怒りが潜んでいる。確かに、彼が居れば戦況はもう少し有利に進んでいたはずだ。少なくとも、王宮を追われることも離宮を失うこともなかった。だが。
「これからよ、エッダ。これから、逆転するの」
 エーディトに向き直ったサリカは、笑顔をつくる。師ほど心強い味方はいない。気まぐれで、いつ、何処に消えてしまうか判らぬような人物ではあったが、その分、傍にいるときは力を与えてくれる。
 柔らかく自身を見つめる灰の瞳に、安堵を覚えたサリカだったが。彼の来訪が全ての転機となることに、このときは全く気付いてはいなかった。



「初恋の人?」
 イリアは目を輝かせた。アデルも一緒に「そうだったのですか」と驚きを隠さない。
「そうじゃなくて、憧れの人、だったの。ずっと……子供のときだけど」
 サリカは即座に否定したが、
「えー、でも、サリカ顔赤ーい」
「妃殿下も隅に置けませんね。王太子殿下は、どれだけ嫉妬すれば宜しいのでしょう」
 正妃と侍女の二人にからかわれ、それ以上何もいうことが出来なくなっていた。

 セレスティンがアーディンアーディンを訪れた日、ささやかながら彼を歓迎する宴を催したのだ。その際、エリシアが歌い、サリカが楽器を奏でた。近頃は国王軍も目立った攻撃を仕掛けて来ず、戦も膠着状態となっている。ここで気を緩めても宜しくないとは思ったのだが、

 ――気を張り詰めてばかりでは、よくないわ。

 エリシアの言葉に背中を押される形で、サリカは師をもてなした。戦の中の、つかの間の安息。館に漂う緊迫した空気が、少しだけ和らいだ夜である。いつもは、軍衣を纏ったまま広間で剣を抱いて眠っていたサリカだが、今夜は領主夫人の使用していた、イリアに与えられた部屋で睡眠を取ることにした。イリアの身の回りの世話をしているアデルも一緒に、ということで、畏れ多いと遠慮をする彼女を無理に部屋に引き込んで、三人の少女は娘らしい話題に花を咲かせていたのだ。
「でも、そうなるとですよ?」
 アデルが眉間に皺を寄せる。
「サリカ様は、どなたが本命なんですか?」
「本命?」
 言葉の意味が判らず、サリカは首を傾ける。
「ジェリオ様と王太子殿下、それにセレスティン様。どの方も素敵な殿方ですけど」
 ぽうぅっと顔を赤らめ、胸元で手を組むアデル。
「わ……私は、ディグルの妻ですからっ」
 彼に付いていくと誓ったのだと主張するサリカの脇腹を、イリアが肘でつついた。
「あの変態刺客も、かなりしつこいでしょ? サリカ、断り切れるの?」
 にんまりと笑うイリア。サリカは声を失った。断り切れるも何も、ジェリオとは既に一線を越えてしまっている。絶対に結ばれない相手に全てを許してしまった自分は、なんとはしたない娘なのだろうと胸が痛んだ。アデルもそのことを知っているせいか、若干表情が暗くなる。イリアは無邪気に
「だけど、サリカはディグルの奥さんになったんだもの。他の人は眼中にはないわよね」
 正論を言い放つ。
「それなのに、ジェリオはしつこいったら。サリカのこと、自分の所有物みたいに思っているんだから。もー、ああいうのは一度ガツンと痛い目見せないと駄目みたいよね」
 ふん、と気合を入れるイリア。余程彼女はジェリオが嫌いと見える――思ったサリカだったが、
「アデル?」
 侍女の微妙な視線に不審を覚えた。アデルは、その青い瞳に複雑な色を宿して、イリアを見つめていたのだ。サリカに呼びかけられて、慌てて返事をしたものの、どこか上の空に思える。アデルに何かがあったのだろうか、不安に思ったサリカが、イリアが席を外した際にアデルに尋ねたのだが。
「いいえ、なんでもありません」
 彼女はかぶりを振るだけだった。
「そう」
 サリカもそれ以上は訊くことはなかったが。アデルの態度は腑に落ちなかった。



 夜分に女性の部屋を訪ねる、それはある一つの意味を持っていた。
「テオ?」
 次の間で案内を乞い、私室の扉が開くのを待っていたセレスティンは、そこに現れた婦人の驚く顔を見て、
「ああ」
 はにかんだ笑みを浮かべる。
 部屋の主は、エリシア。かつて、彼が恋した女性だった。彼女は大きく眼を見開き、それから気付いたようにショールを掻き合わせる。どうぞ、と入室を促すものの、それ以上のことを彼女が許すとは思えない。
「エリシア」
 伸ばした指先は、彼女に触れる寸前で交わされた。セレスティンは苦笑を浮かべ、宙を掻いた指先を掌に握りこむ。闇に揺れる、想い人の髪の匂いが、情欲を掻きたてた。
「そのために、戻ってきたというの」
 エリシアの口調が棘を含む。大劇場グランフィリアの青薔薇は、なかなかどうして手強かった。
「抱きしめるくらい、させてくれてもいいだろう?」
「駄目」
 ピシリと断られる。彼女は、まだ亡き夫に操を立てているのか。親友の面影が心を過ぎる。カリャオか――彼の名を呟けば、エリシアは乾いた微笑を浮かべた。
「艶っぽい話は遠慮してちょうだい。ここには病人がいるのよ」
 ちらりとエリシアが背後の衝立に視線を投げる。その向こうに在る寝台、そこには彼女の息子が臥せっているのだ。ああ、そうか、と得心が行く。目の前に居るのは、女ではない。母親なのだ。
 セレスティンは片目を覆う眼帯を外した。隠れていた青い瞳が、真正面から想い人を射抜く。同じ色をしたエリシアの目は、怯えることなくそれに応えた。
「座ったらいかが? 飲み物くらい、用意するわ」
 一瞬でエリシアは身を翻す。少女のような振る舞いに、笑みが込み上げる。そういえば、初めて彼女に会ったのは、彼女が十四歳のときだった。エリシアがその才能を劇場グランフィリアの所有者に認められ、かの劇場付きの歌姫として修練を積んでいたころか。

 ――怪我を、しているの?

 暗殺に失敗し、あまつさえ傷を負って劇場に身を隠していた彼に気付き、手当てをしてくれたのだ。
 あのときは、単に気の強い子供だと思っていたのだが――
「どうしたの?」
 酒を満たした杯を卓上に置きながら、エリシアは訝しげに眉を寄せる。その表情が、幼い彼女の姿に重なった。
「昔を、思い出していた」
「昔?」
「おまえと、初めて会ったとき」
「ああ……」
 エリシアの表情が和む。
「昔の話ね。ほんとに」
 セレスティンは杯を手にした。芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。籠城している割には良い酒を呑んでいると軽口の一つも叩こうかと思ったが。目の前で同じく杯を持ち、それを一気に干しているエリシアの白い喉を見つめていると何も言葉が出てこなかった。
「飲まないの?」
「口移しで飲ませてくれれば、何杯でも」
 半ば本気でいった台詞は
「馬鹿ね」
 の一言で却下された。
 杯を置いたエリシアは、セレスティンの左右色の異なる瞳を見つめ、軽く唇を噛む。それから、ちらりと背後に視線を向けて、
「なにか、話があって来たのでしょう?」
 尋ねる。セレスティンも彼女の視線の動きに合わせて目を動かした。衝立の向こうに、今一人の人物がいるのは、先程から気配で判っていた。その人物から只ならぬ殺気が漂っていたことも。今、視界の隅に捕らえたのは、かのひとが手にしている抜き身の、妖しい輝きだった。蝋燭の炎を受けて輝く刀身は、どれだけの人の血を吸ったのだろう。微かに陰りを帯びている。
「氷の歌姫には、頼もしい騎士殿がついているようだな」
 揶揄の言葉に、気配が揺れた。今頃、恋敵に酷似した顔が歪められていることだろう。そう思うと、可笑しかった。いっそ、彼の前でエリシアを力ずくで抱きしめようか。子供じみたことを考えて、彼は「ふ」と息を吐く。
「ここに来たのは、暇乞いだ」
 もう会うこともないだろう――言うと、エリシアの手から杯が落ちた。何故、と。その瞳が問うている。
「セグに行く。あの国を動かす。先にシェラが向かったが――彼女を生かすためには、誰かが犠牲にならなければならない」
「テオ」
「セグの大公を、殺る」
 セレスティンの瞳が、剣呑な光を放つ。アグネイヤ四世は、誰に任せてもよいと言った。けれども、これは自分で始末を付けなければならない。エルディン・ロウとして。また、アインザクトの血を引く者として。セグの大公一人の首を取った処で、どうなるわけでもない。が、混乱を呼ぶことはできる。ソフィアを傀儡として、セグを第二のエランヴィアと為し、そこから諸国を濁流に巻きこむ。
「テオ……」
 最後に、せめて唇に触れたかった。そんな未練を残し、セレスティンはエリシアの前に膝をつく。その衣裳の裾に口付け、
「息災で」
 武骨な別れの言葉を述べ、目を合わせずに部屋を出る。
「テオ」
 と。憂いを帯びたエリシアの声が聞こえたが。彼は、それを扉で断ち切った。



「え? 今夜、ですか?」
「そうだ」
 与えられた部屋に戻り、荷物を纏める師を前に、エーディトは目を丸くした。
「今夜、ですか?」
 壊れた人形の如く、同じ言葉を繰り返す。流石に返事をするのも面倒になり、頷くだけにした彼は、
「サリカを頼む」
 腹心の肩を軽く叩いた。が、エーディトは「待って下さいよ」とその手首を掴んだ。
「来たばかりじゃないですか。陛下だって、あんなに喜んでいるのに。もう、消えるんですか? せめて、明日の朝……」
「くどい」
 エーディトの手を静かに払う。
 ここに来たのは、サリカを守るためではない。エリシアの顔を見るためだ。彼女に会い、その面影を心に焼き付けて、冥府へと下るつもりだった。二百年の長きにわたる『復讐』に終止符を打つ、その初めの楔に自分はなるのだ、と。
 結果的に、マリサとサリカの双子を騙すことになってしまったが、彼女らは自分で歩いて行ける強さを持っている。サリカも、マリサの心が傍に在るとの確信を持てれば、少しは強くなれるだろう。
(……)
 そうは思うものの。腕の中で泣きじゃくる愛弟子のことを思うと、ちくりと胸が痛んだ。薔薇の棘は、こんなときにも自分を苦しめる。
「あー、そーですか。エリシア様に冷たくされたから拗ねちゃったんですか」
 エーディトの揶揄に「違う」と答えたが。果たして断言できるだろうか。エリシアが止めれば、自分はここに残ったかもしれない。ふと、そんなことを考えて、かぶりを振る。冗談ではない。自分は其処まで、子供ではない。
 尚も絡んでくるエーディトを押しのけ、廊下へと踏み出そうとしたセレスティンは、
「……?」
 扉の向こうに気配を感じ、動きを止めた。誰かが、居る。誰が――と考えるまでもない。この気配には覚えがある。
「刺客が簡単に気配を読まれてどうする」
 勢いよく扉を開ければ、果たしてそこにはジェリオが居た。相変わらずの無愛想さで、睨むようにセレスティンを見つめている。自分とほぼ変わらぬ身長の青年を横目で見やり、セレスティンは小さく笑った。カリャオの息子が何用だ、心の中で亡き親友を罵倒する。
「セグに、行くのか?」
 単刀直入にジェリオが尋ねる。セレスティンは、おや? と首を傾げた。ここを訪れたのは、どうやら彼の想像とは違う理由かららしい。
「大公を、殺るんだろう?」
 褐色の瞳に、暗い感情が宿る。こういうとき、彼は父親に酷似していた。思わずカリャオと呼びかけそうになり、セレスティンは慌てて言葉を呑みこんだ。
「俺が、行く」
 迷いの欠片もない。ジェリオは正面から彼を見据え、そう宣言した。
 確かに、ジェリオもエルディン・ロウのひとりである。暗殺を生業とする、闇の眷族だ。ユリシエルに育ったというから、おそらくはヴィーカか、もしくは『彼』にこの道に引き込まれたのだろう。それがあくまで偶然なのか、それとも、ヴィーカもしくは『彼』らの何かしらの思惑が働いていたのかまでは判らない。

 ――ユリシエルに関しては、あたしらの好きにさせてもらうよ。

 大公の血に最も近いヴィーカ、その彼女の『命令』に逆らえる者はいない。『彼』でさえも、ヴィーカの前では単なる末裔の一人でしかない。
 しかし、よりによってカリャオの――エリシアの息子を、暗殺者に仕立て上げるなど。ヴィーカは何を考えていたのだ。よもや、シェルキス暗殺要員として候補に入れていたのではあるまいかと、嫌な思いが胸を過ぎる。
「おまえは、エリシアの傍に居ろ」
 大事な想い人の息子を、危険にさらすわけにはいかない。それに、ジェリオはサリカと浅からぬ仲にある。互いの柵が邪魔をしているようだが、本当は、ふたりとも――
「俺は、エリシアもサリカも泣かせる気はない」
 サリカの名に、ジェリオの視線が鋭さを失う。彼は動揺している、明らかに。それこそ彼も、サリカが一言行くなと言えば、踏みとどまるに違いない。
「お袋もサリカも、あんたが守ってくれ」
 しかし、ジェリオは彼の予想外の言葉を発した。これは本気でセグへ向かうつもりなのだろうと考えて、ふとあることを思い出す。ジェリオは、ユリシエルで育った。ユリシエルといえば、カルノリアの首都。そこには、当然皇帝一家もいる訳で。ああ、とセレスティンは頷いた。ジェリオは、セグ大公ではなく、その妃に含みがあるのだ。
(カルノリアの、第三皇女)
 確か、名をソフィアといった。
「ソフィア、か」
 その名を呟けば、ジェリオの瞳に濃い影が走る。よもや、ソフィアの正体を知っているわけではないだろうが。これは、使えるかもしれない。セレスティンは内心ほくそ笑んだ。親友の忘れ形見であるジェリオならば、あるいは全てを託してもよいかもしれぬ。
「今の言葉が、誠なら。ジェリオ、おまえに頼みたいことがある」
 

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