AgneiyaIV
第五章 暁の覇者 
2.煽動(3)


「なんで? どうして? どうして、サリカを行かせたの?」
 自室へと軟禁されたイリア、彼女は傍らの侍女を揺さぶりながら、半狂乱で叫んだ。
「駄目だと言ったじゃない。あなたも見たでしょう、あの札。それなのに、何故……」
 侍女アデルは言葉もなく、ただイリアの為すがままに身を任せていた。今のイリアには何を言っても無駄であることを、アデルも承知している。だからこそ、サリカも妻には何も言わずに行こうとしたのだ。こうなることが、判っていたから。
「巫女姫。少し、落ち着きなさい」
 入室して来たのは、エリシアだった。彼女に気付いたイリアは、アデルから手を離す。射殺さんばかりの勢いで、瑠璃の瞳がエリシアを見上げた。数々の修羅場をくぐって来た元娼館の女主人は、小娘の睨みなどものともせず、微笑すら浮かべてイリアの前で身を屈める。
「貴方が騒いだところで、どうにもならないでしょう。というか、貴方が騒いでいたら、サリカも落ち着かないわ」
「エリシア様」
 ばん、とイリアは両手で床を叩く。
「あなたは、止めてくださると思っていました。セレスティンも」
 サリカもまたイリアの言を受け入れて、使者に立つような愚かな真似はしない、と思っていたのに。
「見損ないましたわ」
 巫女姫の占いを、馬鹿にしている。イリアは拳を震わせた。その手を、そっと包まれる。エリシアだった。はっと驚くイリアに、エリシアは小さく笑いかける。
「ありがとう。サリカを心配してくれて」
「エリシア様」
「大丈夫よ。サリカを、信じてあげてちょうだい」
 エリシアに、『慈悲の女神』の札絵が重なる。イリアは目を見開いた。



「サリカも、あのリディアの娘だった、ってことだな」
 窓から城下を望み、セレスティンはひとりごちる。
 やはり、血は争えない。サリカは、リディアの娘にして、マリサの姉妹なのだ。
「どういうことかしら?」
 いつの間にやって来たのか、室内にエリシアの姿があった。供は連れていない、一人だけの来訪である。セレスティンは思わず苦笑した。よもや、昨日サリカに言った台詞をここでエリシアにも言うことになるとは。
「異性の部屋を、貴婦人が一人で訪ねるなよ」
 エリシアは肩を竦めただけだった。
「巫女姫は? 少しは落ち着いたか?」
 エリシアは、先程までイリアを宥めていたはずだ。ここに来たということは、巫女姫が大人しくなったか。それとも、手に負えなくて加勢を求めに来たか。二つに一つである。とはいえ、エリシアに限って後者であることはまずない。エリシアの肝の太さ、懐の深さは十二分に承知している。
「訳を話したら、ちょっとは納得してくれたみたいよ」
 想像通りの答えに、セレスティンの口元が弛む。
「で? リディアってリドルゲーニャ姫? 神聖帝国の皇太后陛下?」
 彼が頷くと、エリシアは呆れたように溜息をつく。
「まったく、どういう知り合いなのかしらね? 大陸の狼と、大国のお姫様……皇太后陛下。しかも、愛称で呼んでいるなんて」
「嫉妬か? だったら嬉しいね」
「馬鹿ね」
 ぷん、と唇を尖らせるエリシア。セレスティンは、くすくすと声をたてて笑った。
「リディアは、やっこさんの本名だよ。あのエルナ……エレオノーレと似たようなもん、か。王室にあるまじき覇王の瞳を持って生まれた、だから、北方の名を付けられたんだ。リディアは真名、だが正式にはかなり長ったらしい名前だったな」
 リディアは、リドルゲーニャと呼ばれることを嫌っていた。

 ――妾は、リディアという。

 確か、名乗りのときもそう言っていたはず。
 恋に落ちたわけでもない、愛したわけでもない、夫ガルダイア三世を相応に立てていたのは、彼が

 ――はじめまして、リディア大公妃。

 彼女を『リディア』と呼んだためだった。ただそれだけで、と、セレスティンは思ったが。リディアのこだわりは、他人が思う以上に強いのかもしれない。『茜姫』にも意外に可愛らしい処がある。そう思うと、更に笑いが込み上げてきた。
「やぁだ、気持ち悪い。貴方、リディア皇太后にもちょっかい出していたんじゃないの?」
 逆にエリシアの機嫌は下降する。セレスティンは「ないない」と手を振った。
「あんなおっかねぇ女、モノに出来るわけないっての。てか、その前になんていうか……勃たん」
「テオ!」
 品のない表現に、エリシアの目が吊りあがる。
「貴方ってひとは……! でも、皇太后陛下は、凄い綺麗な方なのでしょう? あのシェルキス殿も密かに想っていらしたようだし。第一、サリカとマリサの母上なのだから。男からすれば、ふるい付きたくなるくらいの美人、よね?」
 その見解は、間違ってはいない。リディアは見た者が、はっとするような美人だ。いや、麗人、佳人の類に入るだろう。このエリシアと並んでも、その美貌は遜色ないはずだ。
 ただ。
「……」
 いや、考えるのはやめておこう。と、セレスティンは思考を中断する。
 それでも、リディアの赤みの強い紫の瞳は、なかなか脳裏から消えてはくれなかった。

 ――汝にとって妾は、その程度の存在か。

 淡々と投げられた台詞。そこに込められた思いと共に小さな棘となって、セレスティンの胸を傷つける。
「あの、リディアの娘だ。今はサリカを信じるしかないな」
 溜息と共に漏らした言葉、それにエリシアは頷いた。
 そうだ。今は、信じるしかない。サリカと、それから――真実の、ソフィア皇女を。



 よくぞ、ご決断くださいました――馬車のなかで、スタシア夫人は涙を流さんばかりに喜んでいた。その顔を見ると、心が痛む。サリカは曖昧に微笑みながら、ひたすら夫人の言葉を聞き流していた。そうしていなければ、平静を保てぬ気がして。
(義母上……セラ……アデル……)
 イリアを、妻を頼む、と。言い置いた言葉を噛みしめる。
 イリアには悪いことをしてしまった。彼女にも、きちんと話すべきだったのかもしれない。けれども、そうしているうちに、心が揺らぐ気がして、結局逃げてしまった。
「そういえば、お姿の見えない方がいらっしゃるようですが」
 馬車の中にいるのは、サリカとスタシア、それに侍女と従者である。表には護衛の騎士。その数が、ひとり、否、二人ほど足りない。
「ああ、そうですわね」
 スタシアも驚いた様子で表を見やる。
「昨夜、アーディンアーディンに泊めて戴く、と伝令を放ちましたから。その者が、白亜宮から戻っていないのでしょう」
 思い出した、という風にスタシアが手を打つ。サリカは小さく頷き、納得した様子を見せた。侍女が此方を窺うように、ちらりと視線を動かす。アデルをアーディンアーディンに置いて来た今、サリカの供は一人としていない。そのほうが寧ろ楽だと思っているが、それでも周囲の気配には敏感になってしまう。スタシアのようにもう少し大らかに生きられればよかったのだが――生憎、自分の中には少しなりともあの母の血が流れているに違いない。サリカは曖昧な笑みを、侍女に投げかける。件の侍女ははっとしたように、慌ててサリカから視線を逸らした。



「妃殿下、こちらへ」
 白亜宮に着くと、サリカはスタシアの侍女に導かれ、別の女官の元へと案内された。そこで女官に、
「こちらでお召し変えをして戴きます」
 更に別室へと案内される。
 身に着けていたものは、全て奪われた。武器を隠し持ってはいまいか、その改めも兼ねていたのだろう。サリカに与えられたのは、国王が用意したと思しき衣裳、彼女の瞳によく映える鮮やかな深紅の衣裳だった。幾重にも重ねられた襞が美しい。大きく開けられた胸元を飾るのも、衣裳と同じ深紅の石をあしらった首飾りである。オルトルートの作品のように洗練されてはいないが、その石の価値だけで件の作品と優劣をつけられぬほどの値を与えられるのだろう。
 男装の時とは異なり、下穿きもない。
 腰のあたりの心もとなさに、サリカは微かに身震いした。
 今頃、スタシアは先に国王の元に参じているだろう。国王もスタシアも、思わぬ『収穫』に嬉々としているに違いない。国王にとって、スタシアは捨て駒だ。スタシアをアーディンアーディンに送る利はあっても、不利益はない。たとえスタシアがかの地で果てたとしても、国政的に何ら問題はなく。宮廷の奥を取り仕切る女官は数多くいる。それこそ、スタシアの後釜を狙っている女官など、両手の指に余るほど存在するだろう。
 ただ、国王は賭けたのだ。おそらく。
 以前、戦を回避しようとした『ルクレツィア』、以前のルクレツィアならぬ気弱な王太子妃であれば、情に訴えれば動くであろうことに。
 食えない男だ、と思う。
 さすがのマリサも、手を焼くはずだ。
 ひとり、広間に止め置かれたサリカは、迎えが訪れるまでの時間をひたすら黙して過ごした。壁際に控えている侍女が時折こちらを窺うが、わざとそちらに関心がない風を装う。あの侍女も、国王の息のかかった者だろう。人の好いスタシア夫人と自分を引き離したのは、スタシアが情にほだされてサリカに救いの手を差し伸べてしまうかもしれない、そのことを危惧したのだ。
 ラウヴィーヌの失脚により、レンティルグの勢力は宮廷より一掃されたが、いまはここは文字通り国王の『城』である。サリカの味方は、無きに等しい。
(マリサ……アグネイヤ)
 心の中で片翼の名を呼び、膝の上の拳を強く固める。こんなとき、傍にいて欲しい人は、誰もいない。
 折れそうになる己の心と闘いながら時を過ごすサリカに、
「ルクレツィア妃殿下」
 ついに、国王よりの呼び出しがかかったのは、日が沈んでだいぶ経った頃か。
 やはり、夜なのだ。
 サリカは、諦め気味に席を立つ。それでも、案内された場所が、国王の私室ではなく謁見の間であることに、ほっとした。国王に対し、臣下の礼を取らず、同等の異国の主君としての挨拶を述べるサリカに、同席していた宰相が渋い顔をし、国王は愉快そうに笑う。よくぞ来た、と声をかけられ、サリカは
「お久しゅうございます」
 次は、義理の娘としての口上を述べた。
 その使い分けが国王の気を良くしたのか。彼は和議の件については些かも触れず、サリカの労をねぎらった。
「あとで、食事を取らせよう」
 食卓に同席させるために、サリカのもてなしを怠ったのか。姑息な手段だと彼女は息をつく。夕餉で下手に酒を飲まされてしまえば、マリサとは異なり酒に弱いサリカである。大きな抵抗は出来ない。短剣もアーディンアーディンに置いてきてしまった今、サリカに抗う術はない。
 互いの思惑を隠したまま、暫く他愛ない会話が続く。
 スタシアは、まだエリシアのことを伝えてはいないのか、国王は前妃に関する質問も一切しては来なかった。
 やがて。
「晩餐の支度が整ったころだな」
 国王が側近に目配せをする。彼は別の小姓に声をかけ、その者がサリカの前に進み出た。別室にて、サリカを持て成すという。僅かに身を強張らせたサリカに、国王グレイシスは意味深長な視線を向ける。
「アーディンアーディンでは、ろくなものを口に出来なかったであろう。今宵は存分に食を楽しむがよい」



 国王との会食は、正直楽しいものではない。もともと、彼のことは好きではなかった。エリシア前妃に対する扱いや、ディグルへの接し方、それから、ラウヴィーヌの素行に口を挟まなかったこと――それらに関して、好い印象がない。マリサからの手紙で断片的に知ったことを、ルクレツィアとなって肌で感じた。自分が初めから此処に嫁いできていたら、ラウヴィーヌやその他の宮廷の猛者たちと渡り合えたであろうか。考えると背筋が寒くなる。
 マリサが下地を整えてくれて処に、自分が来てすんなりと美味しい処を横取りしてしまった、その罪悪感も頭を擡げ始めて。会話も食事も進まぬまま、サリカは宛がわれた部屋へと向かった。
「ここは……」
「王后陛下の、お部屋でございます」
 今は主を失ったその部屋は、いつ、誰が訪れてもよいように綺麗に整えられている。国王は、次の妃候補を頭に入れているのではないか。サリカは露骨に顔を顰めた。不謹慎すぎる。
 国王グレイシスが複数の貴婦人と浮名を流していることは、アデルから聞いていた。公の愛妾を持たないだけである。この部屋にも、ラウヴィーヌ失脚後にそういった夫人を連れ込んでいたのではないかと、勘繰りたくなる。
「御用がございましたら、お呼びくださいませ。隣室に、控えております」
 部屋付きの侍女は、サリカの着替えを手伝い終え静かに部屋を出た。次の間に続く扉が閉まると、サリカはこの空間に一人きり、放りだされたことになる。静けさが、耳に痛い。アーディンアーディンでは、常に誰かが傍にいた。それが鬱陶しくないと言えば嘘になるが、それでも、一人は――孤独は、好きになれない。
「疲れた」
 今夜は、国王からの呼び出しはなさそうだ。サリカは寝台に腰かけ、燭台の灯りを消そうと手を伸ばした。そのとき。部屋の奥で物音が聞こえ、
「誰?」
 思わず誰何の声を上げる。
 この部屋には、誰もいないはずだ。まさか、刺客が潜んでいたのか、と。身構えるサリカだったが。
「夫が、妻の部屋に入るのに、断りを入れる必要があろうか」
 奥の壁が静かに動き、空間が切り取られる。人一人が漸く出入りできるほどの開口部に、人影が見えた。
「国王、陛下」
 サリカは目を見張る。王妃の間の寝室に、このような仕掛けがあったとは――壁を隔てた向こうは、国王の私室だったのか。サリカは奥歯を噛みしめた。逃げようと腰を浮かすが、背後は寝台、そしてこちらは正真正銘の壁である。何処へも行き場がない。焦るサリカをよそに、グレイシスは一歩一歩、余裕の表情で近づいてきた。
「和睦の使者、の意味が判らぬ子供ではあるまい」
 声に笑いが含まれている。
 サリカは息を呑んだ。判らないわけではない。寧ろ、こうなることが自然だと思った。以前聞いた、国王がマリサを狙っているということ、神聖帝国皇帝の腹に我が子を宿そうとしていることを思い出す。グレイシス二世は、サリカに己が胤を植え付けようとしているのだ。その行為を想像し、サリカは強く唇を噛んだ。
「ここに来たということは、我がものとなることを承知した。と、思っているのだがな」
 息がかかるほど間近に、グレイシスの顔がある。サリカは顔を背けた。彼の手がその肩にかかり、薄い夜着越しに節ばった感触と体温が感じられる。彼は逆に、サリカの張りつめた若い肌を堪能しているに違いない。無粋な手は身体の線を確かめるように、ゆっくりと彼女の輪郭を辿っていく。
「震えているのか。やはり、そなた、生娘か」
 耳元の囁きに、鳥肌が立ちそうだった。ジェリオに触れられたときとは明らかに違う。今は、嫌悪しか覚えない。自分の身体に興奮する男が、異形の怪物にしか思えなかった。
「ルクレツィア」
 不意に抱きしめられ、寝台に押し倒された。同時に膝を割られ、夜着の裾を捲りあげられる。先程サリカの肩を、腕を辿っていた掌が、直に太腿に触れていた。それが大胆に下肢を這いあがっていく。
「お戯れを」
 身を捩って逃れようとするが、体重をかけられていて身動きが取れない。
「苦痛は、最初だけだ。じき、甘美な思いを味わえるようになる」
 サリカは激しくかぶりを振った。快楽など、欲しくない。こんな男に、与えられたくない。触れられたくない。
(ジェリオ……)
 遠い昔の光景が、脳裏に蘇る。

 ――俺の子を、産め。

 クラウスに襲われたとき、あのときと同じだ。この男に穢されるくらいなら、舌を噛んで自決したい。
 だが。それは、できない。
(ジェリオ)
 サリカは強く眼を閉じる。いま、自分に触れているのはグレイシス二世ではない、ジェリオだと。自身を偽るために。
(いやっ)
 グレイシスの指が、秘められた場所に触れた刹那。サリカは目を見開いた。彼の次の行動を許さず、両手でその頭を抱え込み、唇を重ねる。乾いた老人のそれを吸いながら、ゆっくりと舌を差し込んだ。と、グレイシスもサリカの背に両手を回し、強く抱きしめて来た。背骨を脇を辿る指に、嫌悪と同時に吐き気を覚える。それでもサリカはグレイシスから離れなかった。離れずに、彼と深く舌を絡めあう。
 やがて、長い口付けを終えたあと、サリカは胸にグレイシスを抱きしめ、ゆっくりと身を起こした。
「今宵は、これでお許しいただけませんか」
 肩で息をするサリカを、グレイシスは上目遣いに見やる。サリカは、彼の手を取り、己の胸に導いた。
「わたくしは、陛下のものです。そのつもりで、やって参りました」
「ルクレツィア」
「ですが……夫を裏切る覚悟が、心の準備が、まだ、出来ておりません」
 言って、国王の両の頬を掌で包み込んだサリカは、再び彼の唇に己のそれを重ねる。貪ろうとする国王の唇を交わし、彼女は笑った。艶然と。
「陛下の手ほどきを、楽しみにしております。ですので、今宵は」
「何を言う」
 先程の口付けで劣情を刺激されたのか、国王はサリカを組み敷こうとするが。サリカは片手でそれをやんわりと抑えた。
「申し訳ございません。月のものが……」
 恥じ入るように俯く。
「数日は、お召しを受けることは適いませぬ」
 付け加えられた言葉に、グレイシスの眉が動く。彼は疑っているのだ。サリカは、三度、グレイシスに唇を許した。今度は、彼の心行くまで貪らせた。口付けの間、身体のあらゆる部分を弄られたが、一切抗わず。逆に、国王の背に愛撫を返した。そのことが、彼の油断を誘ったのだろう。
「ならば、仕方がない」
 服越しではあるがサリカの若い身体を堪能した国王は、それなりに満足したらしい。最後に彼女の首筋と胸元に痕がつくほど強く口付けを施すと、漸くサリカを解放した。
「その言葉、偽りであれば……」
 続きは、聞かずとも判っている。サリカが国王を拒否すれば、アーディンアーディンを落とすというのだ。そのまえに、神聖皇帝ルクレツィア一世が我が手に在ると宣言をするかもしれない。それだけは、させられない。
 サリカは微笑み、今一度、国王と口付けを交わす。
 国王は名残惜しげにサリカの肌に唇を這わせていたが、やがて諦めたのか部屋を出て行った。
「……」
 彼の姿を見送ったサリカは、壁が閉じられると同時に、そこに机を押し付けた。机と椅子と、それから、脇机を。圧し付けて、その場にぺたりと座りこむ。
「う……」
 全てを奪われたわけではない。けれども、国王に触れられた部分から自分が腐食していくような気がして、気分が悪かった。国王の手は、恐怖と嫌悪しか与えない。口付けも、ジェリオやディグルに覚えた、甘い快楽は一片たりとも感じなかった。ただ、ぶよぶよとした粘膜が触れた、そうとしか思えなかった。
 このままでは、遠からずあの男に穢されてしまう。この身体を自由にされてしまう。
 相応の覚悟はしていたが、やはり、駄目だった。
「ジェリオ」
 『護り手』の名を呼び、己の肩を抱きしめる。胃の辺りから、何かがせり上がって来た。ごほ、と重い咳が喉から零れ出す。一度咳き込むと、止まらなくなった。
「う……っ」
 がふっ、と大きく喉が鳴る。口元を押さえた掌に、ぬるりと滑る何かが零れた。驚いて、燭台の明かりに手を透かして見る。白いはずの掌は、まるで薔薇の花弁を掴み取ったかのように、赤く染まっていた。


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