AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
3.魔手(2)


 日暮れと同時に、宴は始まる。
 雪が去り、春の風が街を駆け抜けるようになって、初めての満月の夜。その祭は行われるのだ。
 これから始まる一年が、幸多きことを祈って。また、過ぎ行く冬を送る意味を込めて。気持ちを高めるために、春の女神を祭るのである。冬の太陽祭とはまた違う。秋の豊穣祭とも趣を異にする。一種独特の祭。南国と呼ばれる、ダルシア、ミアルシァに多く見られる伝統的な行事である。行事とはいえ、堅苦しいものは一切ない。他の祭のように決まりごともなければ、これといった見せ場もない。市長の催す式典が終わると、どこからともなく祭の音楽が流れ始め、街中に活気が広がっていく。いたるところで市が開かれ、小さな宴が催される。その宴を目当てに、諸国から芸人たちが集まり、身に着けた芸を披露する。
 ノヴエラの外れ、普段は広場として人々の憩いの場となっている場所に見世物小屋が建ち始めたのはつい先日からだった。いくつもの一座がそこで舞台を作り、得意の分野で人の目を釘付けにする。火の輪をくぐる獣たち、煙幕の中に消える美女、水を操る美少年、占いをする老女。異国の香りを乗せた旅人たちを、市民は喝采を持って迎えていた。


「どこも賑わっているねえ」
 広場の外れ。最も目立たぬところに舞台をしつらえた一座は。それでもそこそこ客を集めていた。一座に属するものがすべて女性、それも妙齢の美女ばかりという話題性もあってか。もしくは彼女らが見せる不可思議な術に魅せられてか。ここを訪れる客たちは、いつまでも舞台の袖にしがみつき去ろうとしないのだ。
 その様子を裏手で見ていた一座の座長――と、見受けられる老婆は、口をもぐもぐと動かしながら低い笑い声を立てた。
「こんなところにも人がくるんだ。よそ様はどこも満員御礼に違いないよ」
 仕切りの帳を掴むその手をそっとどけて。彼女の背後から、ひとりの少女が舞台を覗き込む。薄闇に溶け込む瑠璃の瞳が、くるりと客席を見渡した。
「みんな男ばっかり。何を見に来ているんだか」
「そうお言いでないよ、イリア。あんなやつらでも、いなければ種は手に入らない」
 この一座には男がいない。女性ばかりの一族では、子孫を増やすことはできない。老婆は暗にそう告げている。
 それはわかっているけれど、と。イリアは唇を尖らせた。女ばかりで困るのならば。男も混ぜればよいではないか。それなのに、一座の、いな、『一族』の女性たちは、男を忌み嫌っているようだった。男は子種を提供するだけの生き物。そう割り切っているのだろう。生まれた子供が女であれば、一座に残すが、男であった場合は何のためらいもなく里子に出してしまう。それを繰り返して二百年。イリアの一族――アンディルエはながらえてきた。
 アンディルエの女たちは、恋をしない。異性を愛さない。愛しているのは自分の容姿だけ。
 そんな笑い話もあるくらい。淡白な人々だった。大陸には大勢の人種が住んでいるのだ。そんなかわった一族が、ひとつくらいあってもいいのではないかとイリアは思う。
「おまえも婿殿のことばかり考えていないで。占いの腕を磨いておくんだね。アンディルエのウリは、踊りでも歌でもない。占いなんだから。一座の花形は、お前になるんだよ」
 もっとも、と老婆は言葉を継いだ。
「まだまだ、(わし)は譲らんが」
「ばばさまの占いは、外れたことがないものね」
 そうそう、と老婆がうなずく。
「外れるわけがないさ。ただの占いではないのだから。気を読み星を読み、風を読む。人の世の(ことわり)を読み取って、伝えるものだ。子供が手慰みでやるものではない」
 アンディルエの占いは(カード)だけではない。占星術、占数術、姓名学から夢占まで。あらゆる方面で世の中を、人の営みを分析する。一族の女はすべて占い師であるが、なかでもそのすべに秀でたものを巫女姫と呼ぶ。神がかった女、という意味も含まれるが。神聖帝国が滅びる前、大陸を支配していた宗教の聖職者であるとの伝説もかかわっているのだ。
 神聖帝国滅亡後、神殿は解体され、皇族はほとんど殺害された。生き残った皇族と、神殿に使えた巫女たちが各地を流浪し、アンディルエの祖となった。ゆえに、アンディルエの長たるものは、神聖帝国の末裔。皇帝の子孫なのであると。これは、公然の秘密。誰も真実とは取らぬ、笑い話に等しい重要な秘密。
 尤も、旅芸人の一座の祖など気に止めるものはいない。人々は、ひと時の快楽を手に入れられればそれでよいのだ。異国から来る風の民など。その面影すら心に残すことはないだろう。
「アグネイヤは、来ていないみたいね」
 溜息と共に、イリアがその名を呟くと。老婆は口をもぐもぐと動かすようにして笑った。
「占い小屋を開けばよいだろう。そうすれば、また現れるかもしれぬよ?」
「でも」
 イリアは言いかけて。口をつぐむ。
 あれから――身体が復調してから、彼女たちはアグネイヤの行方を求めて街中を捜索した。それとわからぬよう、古代紫の瞳の娘がいないか、とだけ。宿の下働きに聞いて回ったのだが。漸くそれらしき人物の情報を得たときには、彼女は既に街を出たあとだった。

 ――行き先? さぁねえ。フィラティノア、っていっていたけど。

 メリダと名乗った、あのときアグネイヤに同行していた女性は、それ以上知らぬようで。言葉を濁していた。
 夏であればいざ知らず、春間近とはいえこの時期に、冬の山越えをしてまでフィラティノアに赴く人物は少ない。彼女の言うとおりフィラティノアへ向かったとしても。陸路ではなく海路を取ることになるだろうという、旅の一座ならではの長年の勘を頼りに、彼女らは南下を始めた。
 おりしも、周辺諸国では春を告げる祭があちらこちらで行なわれている時期でもある。興行の名目で舞台を行なえば、彼女に会えるのではないか。儚き望みを抱いたイリアではあるが。
 意に反して、目的の人物――アグネイヤは現れなかった。
「せっかく逢えたのに」
 右手の人差し指に輝くオルトルートの指輪を見つめて、彼女はほぅっと息を吐く。前払いされた代価、これに見合う答えをイリアは告げていない。それも心残りであるが、それよりも。
「アグネイヤ」
 あの、古代紫の瞳。神聖帝国皇帝の瞳。あの輝ける暁の双眸が忘れられない。
(あのひとが、あたしの)
 考えると、胸が鳴った。早鐘を打つ鼓動を抑え、イリアは舞台袖から離れる。その後姿に、老婆は今一度声をかけた。
「占い小屋を開くがよい、イリア」
 彼女は老婆を振り返らずに頷く。
 アグネイヤに、古代紫の瞳に出会うには。それしか今のところ方法がないのだ。一族の女性がアグネイヤの行方を捜してくれてはいるものの。芳しき答えはいまだ得られぬままである。
「イリア」
 ここにいたの、と。薄物を纏った踊り子が驚いた顔でイリアを見下ろした。なに? と小首を傾げるイリアを庇うように袖に押し戻すと、彼女は少々渋い顔で肩をすくめて見せる。
「ばばさま」
 表情に勝る、苦い声が彼女の柔らかな朱唇からもれた。
「お客人が外に。また、無粋な申し込みみたい」
「またか」
 老婆も彼女と同じく渋面を作る。
「それって?」
 尋ねようとして、あ、とイリアは声を上げた。「無粋な申し込み」がなんであるか。大体の見当がついたのだ。
「あの、何処かの貴族様?」
 尋ねれば、ふたりは同時に頷く。
 無粋な申し込みをする貴族。その目的は、ほかならぬイリア自身。ノヴエラに別邸を構える貴族が、イリアを側室にと。そんな打診をしてきたのがつい先日であった。確か、昨年もこの街を訪れたときに似たようなことを言われたようであったが。そのときは老婆が

『イリアはまだ十三。とても貴人のお側仕えはできますまい』

 そういって断ったのである。そのときに使いの者があっさりと引き上げたので、貴族の一時期の気まぐれかと思っていたのだが。今年も同じようなことを言ってくるとは。
「まだあきらめていなかったのね」
 イリアも露骨に顔をしかめた。
 これが普通の旅の一座の娘であったのなら。貴族の側室として迎えられるのは、願ってもないことであるが。アンディルエの女として、しかもそのなかの巫女姫として扱われてきた存在にとっては。むしろ煩わしい縁であった。
「わたしの婿殿は決まっていますって。そう言っておいて、ばばさま。どんなにいい男でも、絶対にお断りしてよ?」
「わかっておるわ。それに、あの貴族の息子。さしてよい男ではないわ。どちらにしろ、おまえの目にかなう男ではないよ。イリア」
 彼らの目的はわかっている。イリアの容姿もさることながら、彼女の持つアンディルエの血が欲しいのだ。貴族たちが大金を積んでも得たいと思うもの。正確無比の占術。この不確定な時代を読むことのできる力。
「後ろ盾になってくれる、っていうのなら別にいいけれど」
「それも囲いものと同じこと。お前の運命はもう決まっておる。あの方に嫁いで、その片腕となって。ともに『未来』を築いていくのだ」
 老婆はもぐもぐと口を動かして。使者と対面するべくその場を去った。


 机の上に、札が並べられていく。一枚、また一枚と。
 ゆれる炎の下で、それはあやしげな色合いを帯びていた。使い込まれた、古ぼけた札。何代にも渡り、巫女の手の中で人の運命を映し出してきた札。表に描かれた絵の、色はほとんど剥げ落ちて。土台である木の色が見えてしまっているものもある。
 見世物小屋の片隅、舞台から離れた楽屋の中で。イリアはゆっくりと占術を行っていた。己の未来のことは、まだ占う気にはなれない。本来、占いでは自分のことは占ってはならないことになっている。そのしきたりを破ったものも中にはいるが。そういったものは、大概後々自らの命を絶つ。未来の重さに耐え切れぬのだ。人のそれならまだしも、自分の行く末である。それがはっきりと映し出されてしまったら。それを素直に受け止めるのは、困難であろう。アンディルエの巫女は、その掟を覆して、未来を覗くことを許されている。つまりはそれだけ強い心を持たなくてはならないということだ。あの老婆も、十四のときに己の未来を視たそうである。

『大して面白くもない、平凡な人生よ。晩年には、面白いものを見られるそうだがな』

 その、『面白いもの』を心の支えとして、彼女は長い年月を生きてきたそうだ。
(わたしは、まだ。怖い)
 老婆が彼女の誕生の折に行ったという、簡単な未来視。それでは、イリアはとある人物の妻となることが示されたという。名も知らず、顔を見たことがあるわけではない。しかし、彼女がその相手に嫁ぐことはさだめとされている。
(私の占いが、あのひとの役に立つといいのだけど)
 常に危険を伴っている、『花婿』の行く末を。イリアは不安な面持ちで見つめていた。
 出会った相手は、イリアと同じ年頃の少女だった。古代紫の瞳を持つ、美しい少女。あれほど凛とした娘を見たのは、初めてだった。
 彼女こそが、神聖帝国皇帝にして、イリアの『婿』。
 そうだ。神聖帝国の皇帝は、アンディルエの巫女姫を正室として、初めて皇帝を名乗ることを許される。古より定められた理を思い出し、イリアは溜息を漏らすとともに手を止める。
「溜息多いわね。最近」
 同じ楽屋を使用している歌姫が、くすりと笑う。
「婿殿の占い? ――結果は、まだお伝えしていないんでしょう?」
「まあね」
 イリアは曖昧に答える。
 伝える暇など、なかった。不覚にも気を失い、札まで取り落として。大事な人の前で、とんだ失態を見せてしまった。あれでは、偽の占い師が結果を話せぬことを隠すために、小芝居を打ったように思われるではないか。
 そう考えると、更に憂鬱になり。イリアはアグネイヤから渡された指輪に触れて、更なる溜息を吐く。
「溜息を吐くと、幸せが逃げていくわよ、イリア」
「そうそう。また、変な誘いがきたんでしょ? 暗い顔しているから、そういうの呼び込んじゃうわけよ」
 今一人の歌姫、彼女のそばで化粧をしていた娘が、紅をさしながらこちらに視線を向けた。彼女の持つ鏡越しに、イリアは歌姫の端麗な横顔を見ることになる。その、愁いを帯びた表情にかすかなる憧れを抱きつつ。イリアは「そうね」と頷いた。
「ああ、ルカンドの貴族の使い? あなたを側室に、とかいう話よね」
 先の歌姫が呆れたように鼻を鳴らす。それを「下品ね」と嗜めながら、後の歌姫が
「その話。気をつけたほうがいいわよ。なんだか胡散臭いもの」
 目を細める。
 彼女に言われるまでもない。元から相手にするつもりはなかった。そう答えると、彼女はかぶりを振って。
「断るのはわかっている。あなたには、そう、婿殿がいらっしゃるんだものね」
 くすくすと小さく笑っていたが。すぐに真顔に戻り、
「ルカンドの伯爵は野心家で、地方の一貴族の地位に甘んじてはいないらしいわ。王家を差し置いて、色々不穏な動きをしているみたい。下手をすれば」
 すっと息を吸った。
「戦を起こすかもしれないわ」
 ルカンド伯爵――大陸最南端の国ダルシアの有力貴族といわれている。先の大戦の前は、小なりといえどひとつの国を持っていた。それがダルシアに併合されて、今では一貴族の地位に甘んじている。が。かつての栄光を忘れることができない様子で。盛んに諸外国に接触を図っているのだ。結果、長男の正室をカルノリアの有力貴族から迎え入れた。イリアのことは、その長男の側室にするといっているようである。
「でも、それは表向きの理由。本当は、あなたを献上するつもりらしいわ」
「献上? ものじゃないのに?」
「お貴族様にとっては、アンディルエといえどもものみたいなものよ。――伯爵はね、あなたを貢物として、大物に近づこうって言うのよ」
 そこで、彼女は声をさらに潜めた。
「って、私もなじみになった男からこっそり聞き出しただけだから。本当のところはわからない。だけど、あながち嘘でもないようだから」
 歌姫の言葉によれば。ルカンド伯爵は、彼女をカルノリアの帝室に差し出すつもりだったようだ。大陸の東半分を占める広大な国。大陸随一の版図と、資源を誇る未知の帝国。そこを統べる帝室――エレヴィア家へ。
「皇后陛下が、大の占い好きなんですって。彼女の周りには、胡散臭い占い師がたくさんいるっていうわ」
「で、取り入るためにあたしを? 冗談じゃないわ。行きたくない、カルノリアなんて」
 東の国、とはいえその帝都は遥か北。フィラティノアのオリアよりも、更に北。雪と氷に閉ざされた、もうひとつの白銀の都。
 今度の話も、老婆がうまく断ってくれるのだろうが。それでも、貴族が強硬手段に出てしまったら? 武力に訴えてもイリアを連れ去ろうとしたら? 歌姫の話からすれば、それは十分にありえることである。イリアはぞっと身を震わせた。それだけはさせない。つまらない権力争うのとばっちりで、アンディルエを滅ぼしてはならない。
「だから、暫くは隠れていたほうがいいわ。婿殿の捜索は、わたしたちがしてあげるから。ねえ?」
 既に化粧を終えていた、銀の髪の歌姫が、軽く片目を閉じる。紅を差し終え、睫毛を整え始めた黒髪の歌姫は、意味深長な笑みを浮かべながら目で頷いた。
「あなたの婿殿は、わたしたちにとっても大切なお方。まさか、女性とは思わなかったけど。でも、綺麗な方なのでしょう?」
「それは勿論」
 イリアは我が事のように満面の笑みを湛えながら、大きく頷いた。


 隠れていろ、といわれた手前。占い小屋を開くわけにはいかなかった。
 イリアは不満に思いながらも、彼女らの宿泊用に設えた小屋の中でひとり札を弄んでいた。早く、先の占いの結果を、アグネイヤに伝えたい。けれども、こうしてめぐり会う機会すらも摘まれていては話にならない。
 この広い大陸の中、たった一人の人間を見つけることがどれほど困難なことか。身に沁みている彼女らである。長いこと、予言の神聖皇帝を探して、漸くめぐり会えたと思ったのに。
「あたしったら」
 あのとき、なぜ失神してしまったのだろう。
 今は、それが悔やまれてならない。
 吐いてはいけないといわれた溜息を、もう何度も繰り返し。彼女はそっと窓を開けた。ぎぃ、と戸の軋む嫌な音がして。ほんのり甘い春の香りが部屋に流れ込んでくる。その空気を胸いっぱいに吸い込んだとき。
 ふいに。背後で人の気配がした。
「誰?」
 振り返ったが、そこには誰もいなかった。気の迷いか、と。再び出入り口に背を向ける。そのときだった。
「……っ!?」
 ぐい、と腕を引かれた。よろめいて倒れそうになるところを押さえ込まれ、
「いやっ!」
 叫びも虚しく、当身を食らわされる。鳩尾に走る激痛。息が詰まる――思うと同時に、すっと意識が何処かに連れ去られた。
 イリアは侵入者の腕の中に、力なく倒れこむ。窓から差し込む銀の月明かりが、イリアと侵入者、ふたりの影を薄闇の中に映し出していた。


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