AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
1.邂逅(3)


 ――取引しねぇか?

 ジェリオ、と名乗った刺客。彼が持ちかけていた話は、悪いものではなかった。悪いどころか、寧ろ喜ばしいものでもある。だが、実際のところ無頼漢である彼の申し出をどこまで信用することが出来るか。それは量りかねた。
 ともあれ、当面彼はアグネイヤを殺すつもりはないらしい。ついでにいえば、彼女を汚す気も失せたようである。

 ――ゲロ吐き皇女なんて、怖くて抱けるか。

 冗談めかしているのか、それとも本気で言っているのか。アグネイヤの反応がよほど堪えたのだろう。あれから既に数日経過しているが、その間ジェリオは彼女にちょっかいを出すこともなく。興味すら失せたかのように、部屋に顔を見せることさえなくなった。

「アグネイヤ、起きてる?」

 明るい声と共に、扉を開け放ったのはメリダである。まだ、体調思わしくなく、今までの疲れが出たのか不覚にも寝込んでしまったアグネイヤは、病人顔で寝台の人となっていた。入室してくる気配に漸く身を起こし、ほつれたみつあみを無造作に解いてから、彼女はゆっくりと頭をめぐらせた。
 見れば、寝台の脇に笑顔のメリダが佇んでいる。
 ジェリオが声をかけてくれたのだろうか、あの日から彼女の世話は全てこの酌婦がやってくれた。派手な見かけとは裏腹に、メリダは意外に家庭的な女性らしい。手料理も、素朴だが味がしっかりと調えられていて、舌の肥えたアグネイヤも満足させてくれた。

 ――こんな野暮ったい夜着着せておくなんて。ジェリオも女心がわからないわよねえ。

 と言いつつ、どこで仕入れたのか。派手な部屋着を買い込んできてはアグネイヤに着せるのだ。おかげで、今の彼女はどこぞの娼婦のごとき扇情的な姿をしてしまっている。ゆったりとして着心地はよいが、日に透けるとはっきりと身体の線が浮かび上がってしまうこの服を着ているところは、とてもジェリオには見せられたものではない。幸いにも、ジェリオはここ数日、メリダにアグネイヤの『監視』を任せてどこかに出向いているようであるが。
 アグネイヤは、メリダの持つ『包み』に目を向けた。大きさ、形からいって、中身は言わずと知れている。衣類だろう。また、メリダは怪しげな服を購入してきたのか。眉をひそめるアグネイヤの肩を、ぱんぱんと景気よく叩いて、彼女は顔に似合わぬ豪快な笑い声を上げた。
「顔色、大分よくなったよね」
「おかげさまで」
「そろそろ、外の空気が恋しくなったと違う? でしょ? だと思って、いいもの持ってきたのよ、今日は」
 言い終えないうちに、彼女は包みの中身を寝台の上にぶちまけた。そこに広がるのは、若い娘が好みそうな、鮮やかな色彩の衣裳(ドレス)と、それに見合った装飾品である。それぞれにどこか安っぽさは隠せないが、それでも目に鮮やかなその品々は、僅かだがアグネイヤの心を動かした。
「綺麗でしょ? 男の子みたいな恰好ばっかりじゃ、勿体ないから。たまにはこういうのを着て、ぱーっと」
「ぱーっと?」
「遊びに行こうよ、街に」


 実際は、メリダ自身がこの奇妙な監視生活に嫌気が差していたのだろう。朝から表が騒がしいと思ったら、今日はこの街の祭だったのだ。春を迎える、迎春祭。祭は大抵十日ほど続くが、今日がその一日目ということだった。若い、とは言いがたいメリダだが、彼女もこういう日には羽目を外したいのだろう。かといって、一人で出かけてはアグネイヤの監視が出来ず。それであれば、共に連れて行ってしまえばよかろうと短絡的に考えた結果がこれである。
 アグネイヤは、自身も派手に着飾ったメリダに連れられて、早くも夕闇迫る街に連れ出された。白一色に覆われた古風な街並みは、色とりどりの造花で飾られ、ひと時だけの華やぎを見せている。表通りには多くの露店が立ち並び、広場には舞台が設置されて、そこでは演劇も披露されているようだった。古来から伝わる悲恋ものを上演しているのだろうか。甘く哀しげな竪琴の響きと、それに絡まるように響く艶やかな歌姫の声が、アグネイヤの心を揺さぶった。
「昔」
 ぽつりと。問われることもなく彼女は呟く。
「昔、こういう祭に行ったことがある」
「昔、って。あなたいくつよ? 老人みたいな言い方しないで」
 メリダが苦笑する。彼女は露店に立ち寄ると、果物を二つ購入した。アリカ、という南国産の果物で、硬い殻の奥には甘い実と汁が潜んでいる。南方ではこれを酒に混ぜて飲む習慣があるが、北方では実を凍らせて食べる方がより日常的であった。南北に長いセグでは、果たしてどのように食すのだろうかとアグネイヤが興味深げにメリダの手元を見ていると、彼女は視線に気づいたのか、
「あなたって南のほうの人だったよね?」
 生まれはセルニダ? と尋ねられ、アグネイヤは戸惑いを隠せなかった。メリダ自身、深い意味があって尋ねたのではなく、古くから商業都市として栄えたアルメニアの首都は、混血美の街と知っているうえでのことだろう。それに気付かぬアグネイヤでもなかったが。メリダの発する一言一言は、その度に心臓に負担をかけるのだ。
「こっちでは、汁はいらないの。実を食べるのよ」
 屈託ない笑顔を向けたまま、彼女は露天商から金槌を借り受ける。それでこつこつと殻を叩き割り、中から柔らかい実をつまみ出した。それをアグネイヤの前に差し出して。
「ほら」
 ほら、といわれても。
 アグネイヤが困惑した表情を彼女に向けると、メリダはアグネイヤの頤に手をかけ、
「あーん」
 子供に食べさせるようにアグネイヤの口を押し開けて、実を放り込んだのである。初めて味わう食感と、恥ずかしさとで、アグネイヤはしばし言葉を失った。必死で咀嚼する彼女の表情が面白いのか、メリダは更に笑い出し、自身ももうひとつのアリカを砕くと、その実を旨そうに頬張る。こういうのが祭の楽しみなのよねえ、と、メリダはそれからもあらゆるものを買い食いした。ふわふわの甘い砂糖菓子や、塩味のきいた干し肉、子供の飲み物なのか、飲めば舌が赤く染まるような、染料だらけの弱い酒。酒に漬け込んだアリカの実を凍らせたものを飴で包んだアリキスという名の菓子は、アグネイヤも気に入った。行儀悪く、串に刺さったそれを舐めながらメリダの後に続けば、彼女はもうひとつの広場の前で、ぴたりと足を止める。
「あらあら」
 声を裏返らせて、彼女は人だかりの向こう、特設の小さな小屋へと駆け出した。アグネイヤも慌ててそれを追いかける。
「メリダ、何があるんだ?」
 問いかけると、彼女は「うふふ」と少女のように頬を上気させ。
「占いよ、占い。いつも、祭になると来るの。風の民だけどね、結構当たるのよこれが。評判いいの」
 嬉しそうに解説を加える。アグネイヤは、ふうんと曖昧な返事を返した。
 風の民、というのはいわゆる流れの芸人である。占いもすれば、予言もする。歌姫もいれば舞姫も存在するという。奇術を披露するときもあれば、演劇を上演することもあり。乞われれば春をひさぐこともあると聞く。その出自は大抵謎に包まれており。滅びた国の楽師であったとか、もともと根無し草の民が寄り集まって、集団で旅を続けているとか。様々な説があるのだ。
 アグネイヤはかつて俗な剣の師から聞いた知識を手繰り寄せながら、『風の民』のありようを心に描いた。
「ああ、やっぱり並んでる」
 メリダの言うとおり、さすがに評判の占い師だけあって小屋を取り囲む行列は半端ではなかった。祭に参加している人々の半分はここを訪れているのではないかと思われるほどの賑わいを見せていた。国家規模の占いであれば、まつりごとに関わる人々が全て真摯な気持ちでその儀式に臨むが、こういった手慰み、お遊びめいた占いは、若い娘の好きな恋占だけかと思っていたが。そうでもないらしい。中には思いつめた顔をした商人や、職人風の年配男性も混ざっている。彼らは仕事に関して悩みを打ち明けるつもりなのではないか。だとしたら、この占い師の腕はたいしたものだとアグネイヤは思った。
(どんな人なんだろう)
 彼女も、なんとなしにその占い師に興味を覚えた。最後尾に並ぶメリダと共に
「僕も、占ってもらおうかな」
 列に入ると、メリダはくすりと笑って。
「大丈夫。ジェリオはまだ一人身だから」
 わけのわからないことを言う。アグネイヤは一瞬きょとんとしたが。意味を悟り、カッと顔に朱を散らして激しくかぶりを振った。
「違う」
「なにが? 彼、いい男でしょー? 軽そうに見えて、あれでなかなか誰でも口説くわけじゃないのよね。選り好み激しくてさぁ。あなたなんて、結構彼の好みよね」
「――メリダ」
「綺麗だし、からかいがいがあるし、それに」
 メリダは声を潜めて。
「まだ、誰とも寝たことないんでしょ?」
 ぽそ、と耳元に囁かれた言葉の意味がわからずに、アグネイヤが首を傾げると。メリダは愉快そうに目を細めた。
「ほらねえ、そこよね。すれてないから、可愛いのよねえ。いいわぁ、若さって」
「メリダ?」
「はいはい。ああ、でもジェリオに惚れちゃだめよ。もっとまともなひとと一緒になりなさいね。あなたは」
 ふと真顔になったメリダは、はっきりとした口調で言い切った。それは、アグネイヤを諭すと同時に、自身に言い聞かせているような。そんな雰囲気を感じさせる言葉であった。
(誰が好きになるか。あんなケダモノ)
 アグネイヤは不貞腐れた面持ちで頷く。
 なにより、ジェリオは刺客だ。一度ならず二度までもアグネイヤの命を狙った。三度目は、ない――正確には、三度目には確実にその命を貰う、そう彼は宣言したのだ。

 ――暫く、あんたを殺さないでいてやるよ。皇女さん。

 彼の言葉が、耳に蘇る。
 彼は、何を思ってあのようなことを言い出したのだろうか。
「……」
 不安が胸に押し寄せてくる。アグネイヤは強く唇を噛み、俯いた。

「次の方、どうぞ」
 いつの間にか、彼女たちの番が回ってきていたらしい。案内の女性が抑揚のない声でメリダに声をかける。メリダはちらりとアグネイヤを見下ろして。
「先に行っていいよ」
 その背を軽く押したのである。アグネイヤは案内の女性に手を取られ、狭い小屋の入り口をくぐった。中は占いの館にありがちな薄暗い空間で。これまた場の雰囲気を盛り上げるかのような、甘く蠱惑的な香りのする香が焚かれている。その奥に薄い紗の帳がかかっており、揺れる蝋燭の火のもとに、うっすらと占術師の姿が見て取れた。
(――子供?)
 影だけで、よくはわからぬが。そこにいるのは華奢な少女のようだった。風の民の占い師、というから老人だと思っていたのだが。どうやら違うらしい。アグネイヤは帳の前に進み出て、進められた位置に腰を降ろした。
「ご希望は?」
 何を占ってほしいか。改めて問われると、口ごもってしまう。アグネイヤは逡巡ののち、
「僕の未来を」
 短く答えた。
「未来?」
 帳の向こうから声が聞こえる。想像通り、若い――いな、幼い少女の声であった。
「漠然としすぎています。もう少し、絞り込んでいただけませんか?」
 声に似合わず大人びた喋り方をする術師は、柔らかく尋ねてきた。アグネイヤはまた少し考え込み。
「僕の命が尽きるときを」
 返答に、術師は息をのんだようだった。それは案内の女性も同じで。無表情であった彼女の顔に、僅かだが人としての色が宿る。
 こんなうしろむきなことを尋ねる人物は、いないのだろう。少なくとも、幼い術師にとってははじめての経験に違いない。悪いことをしたとアグネイヤは反省したのだが。
「あなたの一生を占ってほしい、ということですね?」
 術師は気丈に問うて来る。それならば、と。アグネイヤも頷いた。人の一生を占える術師――そのような人物は、大陸ひろしといえども数えるほどしか存在しないだろう。風の民の、ましてや幼い少女が、それほど大それたことを占えるとも思えない。しかし。
「代価は、高くつきますよ」
 挑戦的な声が、帳の向こうから帰ってきた。
「あなたに、払うことが出来ますか?」
 告げられた値段は、破格であった。とうてい一般市民の払うことの出来ぬ金額である。並の貴族でも、その額を言われれば申し出をためらうに違いない。これは、こけおどしかはったりか。アグネイヤは無言で右手にはめられていた指輪を抜き取ると、それを案内係に差し出した。
「金子は持ち合わせていないので、これで」
 案内の女性は指輪を受け取ると、それを手近な明かりに透かした。裕福な商人の娘が持つような、極ありふれた金細工の指輪である。宝石の類はひとつもついてはいない。一見、それほどの価値はないように思えるが。
「これは」
 女性は驚いたように声を上げた。
「これは、オルトルートの手ではありませんか?」
 見るものが見れば一目でわかる。指輪の裏に刻まれた、飾り文字。それは、当代随一と謳われた芸術家、諸国の貴族層の間で引く手数多のオルトルートが手がけた作品である証拠だった。この指輪ひとつで、小さな所領がひとつ手に入る。それほどの価値があると言わしめるほどの値打ちものだ。
「足りませんか?」
 本物であれば、足りぬどころか釣りが必要である。けれども、その釣りを払うほど彼女らの元に価値あるものが存在するだろうか。
「承りましょう」
 静かに宣告して。術師は帳を上げるよう、案内の女性に指示を出した。女性は躊躇いはしたものの、術師の言葉に従う。音もなく引き上げられた帳、その向こうに佇むのは。
「イリア、と申します」
 アグネイヤと歳の変わらぬ、黒髪の少女であった。彼女は蝋燭の明かりを映す瑠璃の瞳をまっすぐにアグネイヤに向けると、机の上に幾枚かの(カード)を並べる。彼女は丁寧に一礼すると、案内の女性から件の指輪を受け取った。それを検分するかのように手の上で転がしていたが。
「お名前を戴いて宜しいでしょうか?」
 質問をすることを忘れない。アグネイヤは素直に自身の名を答えた。
「アグネイヤ」
 と。一言だけ。
「アグネイヤ」
 イリアは目を細めてその名を繰り返す。
「闇を払う暁の星。神聖帝国皇帝に、その名を持つものが多く存在した。――男子の名ですね」
 アグネイヤは頷いた。そうだ。これは、男子の名だ。普通は女性にはつけることはない。ただ、アルメニアでは皇帝となるものは必ず男性として扱われるため大公、つまり皇太子となるものには女性名ではなく、男性名をつけるのが慣わしとなっている。
「解かりました。占いましょう」
 イリアは札を切り始める。慎重に。丁寧に。そうしている姿は、幼い少女のそれではなく、まるで数百年生き続けた老婆のようであった。瑠璃の瞳に浮かぶのは、少女らしい甘さや若さではなく深淵を思わせる空虚な色。どこか神がかった雰囲気を漂わせて、彼女は最後の札をアグネイヤの前に差出し。それから残った札を一枚一枚確かめるように指で触れてから。
「この中で一枚。好きな札を表に向けてください」
 使い込んで角が丸くなってしまった木札。その端を指で押さえて、アグネイヤはそっと一枚を選んだ。絵札となっている表を見れば、そこにかかれているのは。
「女の人?」
 髑髏を持ち、燭台を掲げる女性。洞のようにぽっかりと開いた目は、どこかいまのイリアを思わせた。イリアはそれに視線を走らせてから、先ほど一枚だけ別に分けた札を引き寄せる。こくり、と息をのむ音が聞こえ、イリアはその札を捲った。
「……っ!」
 せつな。彼女は大きく目を見開き、札を取り落とした。声なき叫びが、朱唇から迸る。尋常ならざる事態にアグネイヤは腰を浮かし、案内の女性はイリアに駆け寄った。
「嘘」
 とだけ呟いて。イリアは糸の切れた人形のようにその場に屑折れたのである。


「で? 今日の占いは、お開き?」
 肝心の術者が気を失ってしまった。当然、占いを続けることは出来ない。そういわれても納得しかねるのか、残された人々は、まだ小屋を取り巻いていた。メリダは小屋から出てきたアグネイヤを不審そうに見つめて、
「本当は何があったのよ?」
 しつこく問いただそうとする。
「貧血、だって」
 良くあることだと案内の女性が言っていた。アグネイヤも体よく追い返されたひとりである。占いの結果を聞くこともなく、

 ――申し訳ありませんが、お引取りください。

 野良猫を追い払うように外に押し出された。イリアの失神の原因は、自分の占いの結果にある、そう思うと余計にその意味が知りたかったのだが。「お帰りください」の一点張りでは取り付く島もない。
「仕方ないね。また、明日来るか」
 メリダは興がそがれた、といった感じでアグネイヤを促しその場を去る。アグネイヤはいまだ心をイリアに残したまま。そっと小屋を振り返った。
 すると。
「あ?」
 一瞬だけ。視線を感じた。小屋のほうから、こちらを見る視線。刺客の視線とも違うそれを背に受けながら。アグネイヤは引きずられるように広場から離れていった。


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