AgneiyaIV
第一章 さすらいの皇女 
1.邂逅(1)


 かすれた音を立てて、木戸が開いた。
 闇の中から現れたのは、一人の少年。華奢な体を大きめの上衣で包み、背に小さなずだ袋を背負っている。黒髪に古代紫(むらさき)の瞳、という珍しい容姿は否応なく人目を引いた。それだけではない。彼のどこか浮き世離れした容貌が、荒くれた無頼者たちを引きつけたのだ。少年は慣れた様子で居酒屋に入り込み、男たちの視線に臆することもなく隅の卓子に席を取る。暖炉に近いせいか、上衣にかかった雪が、ぽたぽたと溶け出す。その様子を見た店の主人は、だいぶ吹雪いているようだと訛丸出しの言葉で言い、更に薪をくべた。そうして、徐に少年を振り仰ぐ。
「なんにするかね」
 少年は、僅かに首を傾げる。言葉がわからないのか。それとも、何を注文したらよいのか迷っているのか。主人はこの小さな異邦人を哀れに思ったのか、助け船を出した。
「寒いようだから、熱い葡萄酒にするか。とびきり胡椒を利かせた」
 すると少年は
「胡椒はいい。代わりに蜜を」
 葡萄酒に蜜。まるで良家の子女のようだ。主人は軽く肩をすくめる。他の客たちも胡散臭そうに少年を見やる。自分たちとは異質な存在。排他的な視線が少年に突き刺さる。少年はそれらを気配で感じ取ったらしい。軽く咳払いをし、店内から目をそらした。と、その向かいにいきなり腰を下ろしたものがいた。酌婦である。彼女は無遠慮に少年の顔をのぞき込んだ。
「なんだよ」
 少年は不快感を露わにする。女は意に介さず、ちびりと酒を舐めた。
「あんた、アルメニアの生まれだろ」
 瞬間、ピクリと少年が反応する。
「その目、きれいね。『皇帝の紫』っていうんでしょ」
「だから?」
 少年は運ばれてきた葡萄酒を口に含む。思ったよりきつい。彼は眉をひそめる。そんな彼の仕種に、酌婦は声を立てて笑った。可愛いねえ、と、からかいの言葉を投げる。店の主人は、女の肩を叩いた。やめておけ、というのだろう。しかし女は主人の手を払い、少年の方に身を乗り出した。甘い、南方系の香りが彼女の髪から漂う。少年が身を引くと、女は更に迫ってくる。
「寒いでしょ、ここは。今夜はあたしが暖めてあげるよ」
 酌婦は交渉次第で春をひさぐと聞いている。しかしまさか、相手が十代の子供でも誘いを掛けてくるとは。少年は今度こそ飛び退き、腰を浮かせた。
「あらあ、今時うぶな子だねえ。ますますかわいいじゃない」
「メリダ。ガキ相手に何やってんだよ」
 喜ぶ女に、客の一人が声を掛ける。風体からいって、無頼者のようである。彼は杯を持ったまま、近づいてくる。連れらしき男も興味深げにこちらの卓子を覗き込んだ。そうして、少年の容姿を舐めるように見つめる。粘ついた、イヤな視線だ。少年は一気に葡萄酒を飲み干した。早くこの店を出なければ。そんな強迫観念が頭をもたげている。
「おや、いい呑みっぷりねえ」
 メリダの言葉にあわせて、無頼者が口笛を吹く。彼は少年の杯に、己の酒をつぎ足した。
「坊主。これも飲んで見ろよ。俺のおごりだ」
 熊のような大男が、威圧的に見下ろしている。断れば、あれこれと難癖を付けられるだろう。少年は内心舌を打つ。厄介なことになってきた。今までの経験から行けば、この展開では必ず一騒動起きるはず。少年の容姿に目を付けた女と、彼女につきまとう男。この二つがそろって、平穏だったことは一度もない。少年はあきらめて男の酒を飲み干した。
 かなりきつい酒だ。先程のものよりも純度が高い。飲み終えた瞬間、意識が僅かに遠のいた。
「へえ、これは本物だあ」
 『熊』の腰巾着が、からかい気味に手を叩く。熊はムッとして、腰巾着の杯を奪い取った。それを一気に干して、少年の前に突きつける。
「こんなガキに負けたとあっちゃ、オルセの名が廃る」
 男は腰に差した長剣を抜き放つ。店内で、小さな悲鳴が上がった。オルセと名乗った男は、少年に切っ先を向け、顎をしゃくる。
「帯にさしてんのは短剣だろ。抜けよ」
 始まった。
 少年は、肩を落とす。どうしてこう、歓楽街にたむろする男たちはやることなすこと似ているのだろう。決まって少年の短剣に目を付け、決闘を迫るのだ。これでことわりでもすれば、逃げるのか、としつこくつきまとってくる。こんなところに来るのではなかった、と後悔するのもいつものことだが。こうなっては仕方がない。少年はすまなそうに店の主人を見やり、
「ごめん。そと、いくから」
 音もなく立ち上がる。が、瞬間くらりとよろめいた。思ったより足に来ている。それを見た主人は、眉をつり上げオルセを睨んだ。
「おまえ、子供相手になにムキになってるんだ」
 しかし、オルセは気にとめない。少年を無遠慮に眺め、
「坊主、いくつだ」
 年齢を問うてくる。少年は溜息をついた。
「十五」
 月が変われば十六になる。こういった姿をしていられるのも、そろそろ限界だろう。
 オルセは鼻を鳴らし、剣先で少年の顎を持ち上げた。
「十五だったら立派な大人だ。娘っ子なら嫁にいく歳だ」
「なに言ってるんだい。いい歳した男が」
 メリダ、と呼ばれた女が彼の腕を掴んだ。彼はその腕を振り払う。弾みで剣先が少年の短衣を浅く裂いた。華奢な肩が露わになる。なめらかに明かりを反射する肌に、オルセが一瞬動きを止めた。少年は慌てて胸元を押さえる。包帯のような布で隠されてはいたが、肩の下から続く膨らみは、はっきりと彼らの目に焼き付いた。
「おまえ、おんなか」
 その言葉に、周囲に緊張が走った。おんな。酒場にいた男たちの目が、一斉に少年に注がれる。少年、いな少女は上衣を掴むと、身を翻した。そのまま扉に駆け寄ろうとして、足がもつれる。危うく床に正面衝突しそうになったところを、太い腕が支えた。オルセである。彼は少女を引き寄せ、その顔をのぞき込んだ。酒臭い息が、まともに吹き付けられる。少女は顔をしかめた。
「女かよ。そういってくれれば、話は早かったのによ」
 何を期待しているのか、わかりすぎるほどわかっていた。彼は少女の感触を楽しむように体中に手を這わせている。逃げ出したいが、体の自由が利かない。足が動かない。腰から下の力が完全に抜けている。
「はなせ」
 絞り出した声に、男の笑いが重なる。
「俺が、あっためてやるよ。最高にいい思いさせてやるぜ」
 冗談ではない。下肢に伸ばされた手を払いのけ、少女は男を睨み付けた。
「離せといっている!」
「気の強えアマだ」
 オルセが笑った。彼は赤ら顔を近づけてくる。唇を奪うつもりだ。少女は顔を背けた。渾身の力を込めて、もがきはじめる。男の髭が、頬に触れた。そのとき。
 すぐ間近で、硝子の砕ける音がした。
 気を取られたオルセの腕がゆるむ。少女はその隙に彼から離れた。
「っと。手がすべっちまった」
 壁際の席についていた青年が、嘲るように笑う。
「わりい。刺激されたから、つい興奮しちまってよ。気にしねえで、続けろよ」
 褐色の瞳が挑戦的な光を放つ。言葉とは裏腹に、
「集団でガキをいたぶるかなあ、フツー。趣味悪ぃよな、おっさんたち」
 背後に殺気を揺らめかせつつ、青年は皮肉げに唇を吊り上げた。オルセとその腰巾着は渋い顔で青年を振り返る。
「ジェリオ。おまえにゃ関係ねえよ」
 オルセの言葉に、ジェリオと呼ばれた青年は肩をすくめる。褐色の瞳が、意味ありげな光を宿し、こちらを見た。少女は遠のく意識の中で、必死に記憶を辿った。この瞳。そしてこの声。自分は彼を知っている。だが、次第に脱力して行く身体が思考を奪っていった。彼女は最後の力を振り絞り、閉じかける目を開こうとする。
「あいにくだったな、とっつぁん。そいつは俺の女なんだよ」
 冷ややかな声が耳を打った。少女はびくりと体を震わせる。彼は今、なんといった?
「こいつがか? へっ、いつからガキ趣味になったんだ?」
 オルセは言いながらも、僅かに逃げ腰になっていた。ジェリオを畏れているのだろうか。それとも何か理由があるのか。思っていると、気配が近づいてきた。ジェリオだ。彼は、オルセの手から彼女の体を奪い取る。オルセは逆らおうとはしなかった。あっさり彼女を、自分よりも十は年下の青二才に譲ってしまう。
 ジェリオの腕に抱き留められたとき、その脇腹に包帯が絡んでいるのがチラリと見え、彼女は無意識に息を呑んだ。警鐘が頭の隅で鳴っている。この青年は危険だと本能が告げていた。しかし、意に反して体は全く動かない。ジェリオはそんな彼女を胸に抱き上げた。
 間近で見る褐色の瞳は、思っていたよりも深い。彼女は魅入られたようにその双眸を見つめていた。すると不意に彼の瞳が和み、瞼が閉じられる。彼女が気づいて避けるよりも早く、彼は強引に唇を重ねてきた。
「……っ」
 逃れようとする華奢な体を、彼は易々と押さえつける。どころか、隙をついて差し込まれた舌が、我が物顔に彼女の口内を蹂躙していた。
 息が、苦しい。彼女は腕を伸ばし、彼の胸を押しのけようともがいた。しかし、男の力には敵わない。逆に強く抱き寄せられる。彼の無粋な掌が服の裂け目から忍び込み、慣れた仕種で乳房を弄ぶ。少女は声にならぬ悲鳴を上げた。憎しみが、嫌悪感が、屈辱が、一気に噴出する。彼女は僅かに動く右手を伸ばし、彼の患部とおぼしき場所を渾身の力を込めて掴んだ。
「!」
 案の定、ジェリオは唇を離した。彼は鋭く彼女を睨み付け、しなやかな肢体を乱暴に抱き上げる。そうなれば、酔いが回り、抵抗力を失った少女など赤子も同然だった。彼は弱々しく暴れる彼女を軽くあしらい、オルセたちに意味ありげな微笑を送る。
「明日にでも、ゆっくり飲もうぜ」
 親指を立てて合図を送る。オルセは不満げに鼻を鳴らした。
「飽きたらこっちにまわせよ。いいだろ、それくらい」
 それには応えず、ジェリオは彼女を抱えたまま店をでた。

「さあて、と。そろそろお楽しみといこうかねえ? 皇女さん」
 裏通りの安宿。そこの二階に連れ込まれた彼女は、寝床の上に投げ出された。弾みで短衣の胸元がはだけ、小麦色の乳房が半ばまで露わになる。その、やや小振りな胸を飾る桃色の突起に、ジェリオは舌を這わせた。せつな、彼女の体がすくみ上がる。彼女は身を捩り、襟元をかきあわせた。
「僕を、どうするつもりだ?」
 愚問だった。ジェリオは暗い眼差しをこちらに向けたまま、上着を脱いだ。それを床に投げ捨てると、彼女の足首に手をかけた。そのまま一気に下肢を押し広げる。彼女が足を閉じる隙を与えずに、そこに膝を割り込ませた。
「わかってんだろ? 皇女さん? いや、アグネイヤ皇太子殿下」
 名を呼ばれて、アグネイヤは息を止めた。やはり、この男は刺客。彼の傷は、先日刃を交えたときに彼女がつけたものだ。だから、彼の目には見覚えがあった。底冷えのする、暗殺者の目。それが今、ケダモノの光を宿して、彼女を見下ろしている。
「殺るまえに、何をしようと勝手だろ? どうせあの世に行くんだ。その前にいい思いさせてやるんだよ」
 彼はアグネイヤの服を引き裂いた。滑らかな肌が、燭台の明かりの中に浮かび上がる。
「上物じゃねえか。まさに絹の肌だな」
 肌触りを確かめるように、彼の手が彼女の体の線を辿っていく。彼の膝は腿を割り、その奥へと侵入していた。彼は、ボロ布と化した彼女の衣服をはぎ取り、腰布にも手をかける。それを乱暴に外すと秘部に指を伸ばした。アグネイヤは悲鳴を上げてその手を拒む。
「いや……いやっ」
 すぐにでもこの場を逃れたかった。しかし体が動かない。酒のせいか、それとも新たに加わった恐怖のせいか。これまでに幾度も味わってきた恐怖。刺客は、彼女の命だけではなく体まで奪おうとする。それを辛くも切り抜けてきた記憶が、鮮明に甦る。
「やだ。やめて」
 必死で足をバタつかせる。ここまで追いつめられたのは、初めてだった。いつにない恐怖が、思考を痺れさせる。思い通りに動かない身体も、彼女をよりいっそう焦らせた。ジェリオは膝で彼女の腹を押さえつけ、その肌にむしゃぶりつく。白い肌に、くっきりと爪の跡が残った。
「感じてんだろ? 声、だせよ」
 彼はアグネイヤの胸を激しく揉みしだいた。
「よがり泣けよ。あんたの一番綺麗な顔が見てえな」
「あ……うっ」
 乳房の奥から這い上がる快楽に、彼女の肢体が緩くしなる。感情とは裏腹に、彼女の肌は、体は、彼の愛撫に反応していた。はじめて味わう、禁断の快楽。更なる愛撫を求めて、肌は徐々に色づいていく。ともすれば、彼の背にまわりそうになる腕を必死に押さえ、彼女は敷布を掴んだ。その上に彼の手が重ねられ、いずこかへ導かれる。指先に触れたものが何であるのかを知った刹那、アグネイヤは声を上げた。
「やっ、いやっ」
 アグネイヤは今度こそ、渾身の力を込めて彼の手を振り払う。同時に、勢いよく身を起こした。すると。その行為は、今まで忘れていた別の生理現象まで呼び起こしたのである。
「う……かはっ」
 ごぼ、とアグネイヤの喉が鳴った。彼女は口元を押さえて倒れ込む。気づいたジェリオが慌てて身をかわすが間に合わない。どぼどぼと彼女の口の中から胃液が溢れた。
「アグネイヤ!」
 ジェリオが悲鳴に近い声を上げる。アグネイヤは苦しさに咳き込みながら、身を二つに折った。ぴく、ぴく、と背中が揺れる。息苦しい。嘔吐が止まらない。彼女は床の上に突っ伏し、喉を押さえたまま荒い呼吸を繰り返した。


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